12月6日、父の地球物語はおしまいとなりました
6日午前2時頃、父の下顎呼吸が始まったと連絡が入り施設に向かい
着いたときにはもう息をしていなかった
午前2時50分常勤医師に死亡が確認されました
葬儀会社の人が午前4時10分に施設に迎えに来て
父を乗せた車の後を夢を見てるようなふわふわした感覚の中ついて行った
やっぱり口にできなくて
開口呼吸をしていたので乾いた舌の上にシリンジで水を数滴垂らした
少し舌が動いた
前の日にお経の動画を幾つか保存しておいたから
父の耳元に置いて流した
布団の中から手を伸ばして空を掴むような素振りを見せた
その手を握って手の甲を撫でた
1時間くらい一緒にお経を聴いて
眠りについたようだったので耳元で
「また明日来るね」と言ったら頷いた
お経を流したんだけど
少しは楽しいとか嬉しいとか似た感覚で心動いただろうか
思いついてよかったと今も思う
死んだ姿を目の前にしても、悲しくも淋しくもなかった
直後はこんなもんなんだろうかと思った

祭壇や着物や骨壺や棺や遺影の額縁や
姉兄と3人で選んだ
一番安いのを選ぼうとする兄と、金額を気にしながらも父の好みを指差す姉と
これが綺麗、これが可愛いと自分好みを選ぶわたし(笑)
父の遺影の写真はボケてるけど、とても父らしい表情の写真があって
死体を風呂に入れるなんて思いもしなかった
よくわかってないまま綺麗にしてあげたほうがいいやん、て決めたけど
本当にお風呂をセッティングして家族がかけ湯をして、全身洗ってくれて、シャンプーまでしてもらって、顔を蒸しタオルで覆って髭剃りもしてもらって
終わってドライヤーで髪を乾かしてもらってたわ
隣の部屋で一部始終を見ていたけど、まるで生きてるみたいだった
本当は家族の手で湯灌もしてあげられたらいいんだろうな、昔はしてたんかな、とか思ってた
父の死顔は本当に仏様みたいに優しくて綺麗で
冷たくなった頭を何度も撫でた
棺に入れるものがなかなか思いつかなかったけど
ヘビースモーカーだったからタバコと手紙と
自転車の後ろや、自転車付きの荷車に乗せて貰い(今ではどちらも交通違反ですが)爆走して味わったスリルと楽しさは子供にとって忘れられません。
若い頃の父の職場でもあった 木場への山林、あるいは水上見学、一緒に行ったお祭、海での舟遊び、海水浴、潮干狩などの思い出はたくさんあります。
家でもトランプや花札などのカードゲームで家族全員が打ち興じたり、犬の散歩にみんなで出かける事もありました。
また、長く続いたり、深く究めることはできないものの、音楽や鳩、鯉などの飼育、石の鑑賞、将棋といった趣味は一緒に楽しんだり、そうでないものも子どもたちに精神的な良い影響があったと思います。
楽しいこと、苦しいこと、辛いこともあったでしょう。
その時間を共に過ごせたことに感謝します。
また、来世、会いましょう。
楽しみにしています。
好き勝手をする上に、能力や人間的な限界も目に付くため、家族との関係は良好なものとは言い難いものでした。
本当は家族愛というものを何よりも欲していた人だったと思います。
父の人間的な限界は妻や子供たちの人間的限界でもありました。
お互いに温かな家族という夢を叶えたかったと思います。
仮想現実だとしたらわたしはとても救われるのです