7月頃から足元がふらつくようになり
9月に入って後ろ足に力が入らなくなって
すぐに座り込んでしまうことが多くなりました
先生に相談すると 神経から来るものだったら
よく効くお薬があるとのこと
腎臓にも負担がないお薬なので大丈夫ですよと
ただ 一週間毎日点滴をしなければならないとのこと
毎日の通院は無理だったので 一週間入院させてもらうことにしました
16日に入院して
21日にお迎えに行きました
でも 足はよくなることはありませんでした
入院中に検査もして頂いたのですが 特別変わったこともなく おしっこも抗生剤が効いているようでした
ご飯もよく食べて
入院中にこんなによく食べる茶々くんは始めて見たと先生も言ってました
食が細くて あまり食べないから これまでの何度かの入院の時は
手作り食を持っていってました
先生はその頃の わたしのことを思い出しては
茶々丸の皮下点滴をしている間に話してくれます
あの頃 茶々くんご飯食べなくて いつも手作り食を持ってきてくれてましたよね
食べてくれたときはほっとしましたよ
家に帰ってきた茶々丸は 足は立たないものの
ご飯も食べて おやつも食べて
うんちもして
翌々日 死んでしまうなんて思いもしませんでした
22日 母から茶々丸の様子がおかしいと連絡がありました
仕事が終えて実家に行くと
少し苦しそうに哭いたので
慌てて抱き上げると
ウーンと息んで うんちをしました
わたしの服はうんちだらけになりましたが
茶々丸に死が近いことを感じました
翌日も仕事です
母に見てもらわなくてはいけないので
茶々丸の毛をバリカンで刈り 薬局へおしり拭きや 衛生用品を買いに走りました
少しでも母の負担を減らさなければならないと
その時は考えました
最近では 茶々丸にその時がきたときに
しんどくないよう 痛くないようと願っていましたから
死が近いとき どんな風になるのかとか
苦しくないかとか 痛くないかとか
知るためには 覚悟もしたかったし
茶々丸がする行為が何を意味しているのかを
知っておきたかったので
SNSでいろんなことを調べていました
体の中のものを全て出して 死を迎える
23日には 家に帰ってきて食べたものを 全て吐いたそうです
父は病院に連れていけ!とよく状況がわからないなりに心配して何度も繰り返しましたが
わたしの気持ちは決まっていました
もう病院にはつれていかない
しんどさや痛みを和らげることが必要なら
病院にと思いましたが
時々 哭くたびにうんちをして 抱いて撫でてやると
また すーっと眠るのです
23日 仕事前 実家に寄ると とても静かに眠っていました
仕事を終えて 今日はどうだったか母に聞くと 時々うんちをして もう体の中のものは全て出しきったようだと
24日は休み ずっと一緒にいられると
早朝 実家に行きました
茶々丸の顔を覗くと 静かに眠っています
母の方を見ると 布団にうつ伏せに寝ていて
とても疲れている様子でした
大丈夫?と聞くと 大丈夫ではない様子
夜中に茶々丸が哭くたびに起きて抱いて撫でてやる日が2日続き 年老いた母には相当キツかったと思います
母の体を楽にする方が先決だと
頭から足先までマッサージをしました
マッサージを終えて 茶々丸を撫でていると
体を少し反らしました
どしたの?痛い??と聞きながら抱き上げると
また少しうんちがでました
きれいに拭き取って
わたしの胸のなかに抱き上げました
今日はずっと 抱いててあげよう
茶々丸の好きな耳の後ろや 脇腹をこちょこちょしながら
いっぱい撫でてあげよう
そして そうしているうちに
茶々丸が口を開けて 大きく息をしました
苦しそうだったので
神様に祈りました
どうか しんどくありませんように
どうか 痛くありませんように
茶々丸には 大丈夫だよ 痛くないよ
大丈夫 大丈夫 大丈夫 大丈夫
大丈夫 大丈夫
抱きしめて撫でながら何度も繰り返しました
しそて しばらくして もう一度 大きく息をしたあと
茶々丸の目が 遠くを見るように
空を見るようになりました
茶々丸~ようがんばったね
もぉ がんばらんでええよ
もぉ がんばらんでええよと伝えました
がんばってと何度も 何度も言って
何度も 何度もがんばってくれました
茶々丸本犬はがんばったつもりはなく
ただ 生きる力があったのでしょう
でも もう 今はその力はありませんでした
これまで 姉の言葉がいつも救いでした
茶々丸は自分が死ぬなんて思ってない
生きる力があれば生きるし
なければ死ぬんだから
そんなに泣くなと
とても残酷なようだけど 生をうけたものは
いつかは死ぬ
その時が来る前に いつも
その時を怖れて 泣いてばかりいたわたしは
その言葉に救われました
大きく息をしたあと
空を見るようになったとき
茶々丸の体を抱きしめて
母に
茶々丸が行ってしまうよと声をかけ
母と一緒に見送りました
とても可愛い顔で
目も鼻も黒くて 歯は1本も抜けずきれいなままで
きれいな目
かわいい鼻
きれいな歯
ひとつ ひとつ 撫でながら たくさん誉めました
アンディやマリアもお世話になった葬儀屋さんに連絡を取り
お骨をもらうことにしました
当日届けてもらえるように ギリギリの時間にお迎えにきてもらいました
それまでの時間 だんだん冷たく 固くなっていく 茶々丸の体を撫でながら
茶々丸の死を受け止めました
携帯の何千枚の茶々丸の写真を見ながら
たくさん泣きました
日記を書きながら
たくさん泣きました
泣いて 泣いて 泣きまくりました
お骨をもらうのは初めてでした
魂は虹の橋を目指し
一度もこちらを振り向くことなく
歩いていってほしいと望むから
こちらでのことは全て忘れて
温かなところでいてほしいから
でも あまりにも わたしが茶々丸のことを考えていた時間が長すぎました
毎日が 茶々丸が中心にありました
7年間 ずっと毎日がそうでした
茶々丸になにもしてあげられないことが
わたしにとっては一番ツラいです
ここには何もなくても
茶々丸はいなくても
お骨をもらって
お水をあげたり お花を飾ったり
お線香を立てたりしてあげられることが
とても支えになっています
花ちゃんをちゃーちゃんと呼び間違えて
まだ泣きそうになりますが
まだ時間がかかりそうですが
それも当たり前のこと
花ちゃんはちょっと様子がおかしいです
ちゃんと 花ちゃんの変化にも気をつけながら
少しずつ
日常に戻っていけたらと思っています

ありがとうございました
9月に入って後ろ足に力が入らなくなって
すぐに座り込んでしまうことが多くなりました
先生に相談すると 神経から来るものだったら
よく効くお薬があるとのこと
腎臓にも負担がないお薬なので大丈夫ですよと
ただ 一週間毎日点滴をしなければならないとのこと
毎日の通院は無理だったので 一週間入院させてもらうことにしました
16日に入院して
21日にお迎えに行きました
でも 足はよくなることはありませんでした
入院中に検査もして頂いたのですが 特別変わったこともなく おしっこも抗生剤が効いているようでした
ご飯もよく食べて
入院中にこんなによく食べる茶々くんは始めて見たと先生も言ってました
食が細くて あまり食べないから これまでの何度かの入院の時は
手作り食を持っていってました
先生はその頃の わたしのことを思い出しては
茶々丸の皮下点滴をしている間に話してくれます
あの頃 茶々くんご飯食べなくて いつも手作り食を持ってきてくれてましたよね
食べてくれたときはほっとしましたよ
家に帰ってきた茶々丸は 足は立たないものの
ご飯も食べて おやつも食べて
うんちもして
翌々日 死んでしまうなんて思いもしませんでした
22日 母から茶々丸の様子がおかしいと連絡がありました
仕事が終えて実家に行くと
少し苦しそうに哭いたので
慌てて抱き上げると
ウーンと息んで うんちをしました
わたしの服はうんちだらけになりましたが
茶々丸に死が近いことを感じました
翌日も仕事です
母に見てもらわなくてはいけないので
茶々丸の毛をバリカンで刈り 薬局へおしり拭きや 衛生用品を買いに走りました
少しでも母の負担を減らさなければならないと
その時は考えました
最近では 茶々丸にその時がきたときに
しんどくないよう 痛くないようと願っていましたから
死が近いとき どんな風になるのかとか
苦しくないかとか 痛くないかとか
知るためには 覚悟もしたかったし
茶々丸がする行為が何を意味しているのかを
知っておきたかったので
SNSでいろんなことを調べていました
体の中のものを全て出して 死を迎える
23日には 家に帰ってきて食べたものを 全て吐いたそうです
父は病院に連れていけ!とよく状況がわからないなりに心配して何度も繰り返しましたが
わたしの気持ちは決まっていました
もう病院にはつれていかない
しんどさや痛みを和らげることが必要なら
病院にと思いましたが
時々 哭くたびにうんちをして 抱いて撫でてやると
また すーっと眠るのです
23日 仕事前 実家に寄ると とても静かに眠っていました
仕事を終えて 今日はどうだったか母に聞くと 時々うんちをして もう体の中のものは全て出しきったようだと
24日は休み ずっと一緒にいられると
早朝 実家に行きました
茶々丸の顔を覗くと 静かに眠っています
母の方を見ると 布団にうつ伏せに寝ていて
とても疲れている様子でした
大丈夫?と聞くと 大丈夫ではない様子
夜中に茶々丸が哭くたびに起きて抱いて撫でてやる日が2日続き 年老いた母には相当キツかったと思います
母の体を楽にする方が先決だと
頭から足先までマッサージをしました
マッサージを終えて 茶々丸を撫でていると
体を少し反らしました
どしたの?痛い??と聞きながら抱き上げると
また少しうんちがでました
きれいに拭き取って
わたしの胸のなかに抱き上げました
今日はずっと 抱いててあげよう
茶々丸の好きな耳の後ろや 脇腹をこちょこちょしながら
いっぱい撫でてあげよう
そして そうしているうちに
茶々丸が口を開けて 大きく息をしました
苦しそうだったので
神様に祈りました
どうか しんどくありませんように
どうか 痛くありませんように
茶々丸には 大丈夫だよ 痛くないよ
大丈夫 大丈夫 大丈夫 大丈夫
大丈夫 大丈夫
抱きしめて撫でながら何度も繰り返しました
しそて しばらくして もう一度 大きく息をしたあと
茶々丸の目が 遠くを見るように
空を見るようになりました
茶々丸~ようがんばったね
もぉ がんばらんでええよ
もぉ がんばらんでええよと伝えました
がんばってと何度も 何度も言って
何度も 何度もがんばってくれました
茶々丸本犬はがんばったつもりはなく
ただ 生きる力があったのでしょう
でも もう 今はその力はありませんでした
これまで 姉の言葉がいつも救いでした
茶々丸は自分が死ぬなんて思ってない
生きる力があれば生きるし
なければ死ぬんだから
そんなに泣くなと
とても残酷なようだけど 生をうけたものは
いつかは死ぬ
その時が来る前に いつも
その時を怖れて 泣いてばかりいたわたしは
その言葉に救われました
大きく息をしたあと
空を見るようになったとき
茶々丸の体を抱きしめて
母に
茶々丸が行ってしまうよと声をかけ
母と一緒に見送りました
とても可愛い顔で
目も鼻も黒くて 歯は1本も抜けずきれいなままで
きれいな目
かわいい鼻
きれいな歯
ひとつ ひとつ 撫でながら たくさん誉めました
アンディやマリアもお世話になった葬儀屋さんに連絡を取り
お骨をもらうことにしました
当日届けてもらえるように ギリギリの時間にお迎えにきてもらいました
それまでの時間 だんだん冷たく 固くなっていく 茶々丸の体を撫でながら
茶々丸の死を受け止めました
携帯の何千枚の茶々丸の写真を見ながら
たくさん泣きました
日記を書きながら
たくさん泣きました
泣いて 泣いて 泣きまくりました
お骨をもらうのは初めてでした
魂は虹の橋を目指し
一度もこちらを振り向くことなく
歩いていってほしいと望むから
こちらでのことは全て忘れて
温かなところでいてほしいから
でも あまりにも わたしが茶々丸のことを考えていた時間が長すぎました
毎日が 茶々丸が中心にありました
7年間 ずっと毎日がそうでした
茶々丸になにもしてあげられないことが
わたしにとっては一番ツラいです
ここには何もなくても
茶々丸はいなくても
お骨をもらって
お水をあげたり お花を飾ったり
お線香を立てたりしてあげられることが
とても支えになっています
花ちゃんをちゃーちゃんと呼び間違えて
まだ泣きそうになりますが
まだ時間がかかりそうですが
それも当たり前のこと
花ちゃんはちょっと様子がおかしいです
ちゃんと 花ちゃんの変化にも気をつけながら
少しずつ
日常に戻っていけたらと思っています

ありがとうございました