5月31日から6月3日まで、函館~弘前へ旅行してまいりました。
まずは函館からです。
2日目は、土方歳三と中島三郎助の最期の地巡りのあと、五稜郭へ行きました。
私としては、幕末戊辰戦争時に、最後まで旧幕軍に属して懸命に戦い、壮絶な戦死を遂げた土方歳三と中島三郎助に思い入れが強く、どうしても二人の最期の地を見ずにいられませんでした。
まずは、土方歳三の最期の地碑からです。
函館駅から7.8分程度の場所にあります。
土方歳三と箱館戦争
新選組副長だった土方歳三ですが、江戸幕府倒潰時には流山で長年の盟友であった近藤勇とたもとを分かち、自らは「最後の最後まで旧幕軍として戦う」と、各地を転戦してゆきます。
宇都宮~会津と戦い続け、仙台で榎本武揚と出会い蝦夷地(北海道)の箱館(函館)に向かいます。
私は、実は土方の真骨頂は新選組往時以上に、この転戦していた頃にあると思います。
というか、この時期の土方こそが好きなんですよね
箱館政府においては陸軍奉行並に就任し、実際の戦闘でも見事な指揮を執り続けます。
戦況はやはり新政府軍に利があり、旧幕軍は徐々に追い詰められていきますが。
土方は明治2年(1869)4月に、新政府軍が箱館に上陸後も鬼神の如く奮戦し続けます
しかし、5月11日の新政府軍による箱館総攻撃の朝、上記の写真の「一本木関門」で銃弾を浴び、壮絶な戦死を遂げます
土方歳三、享年35。
土方の最後の数か月をドラマチックに彩るものに、司馬遼太郎氏の「燃えよ剣」という小説があります。
司馬小説の中で最も好きな小説の一つです。
この本を読んで、土方の魅力に触れました。
負けるとわかっているような戦いでも、最後の最後まで「勝つために」戦う土方。
一見悲壮ですが、土方が戦う姿は悲壮感というものをさほど感じず、むしろ前向き。
「男は何ができるとか言うべきではない。何をするかだ」
このようなセリフがあったか失念しましたが、彼の真骨頂は「やることやる」それだけです。
戦いのプロたる土方は、最後まで戦うことにその生涯を費やしたような。
そこには精神的な悲壮感ではなく、合理的な思考さえ垣間見えます。
真田幸村が大坂の陣で壮絶な戦いを演じて散った姿に非常に似ている。
この姿こそが、土方を後世において大変な人気者にしたのでしょう
土方歳三の地碑にお参りします。
私もお供えするものを、何か持っていくべきだったかな…。
地碑の近くには、土方と箱館戦争に関する説明書きもあります。
続きます、この後はさらに歩いて中島三郎助の最期の地へ行きます。
(日時指定投稿です)