主催している(仮称)歴史散歩サークルにおいて、横浜シーサイドライン散歩を、先日行った私ですが。
このシーサイドライン沿線沿いも、それ相応に史跡をめぐる散歩コースがあります。
先日少し歩いてきたので、その紹介を3度に分けて致します。
今回は、①富岡八幡宮です。
南部市場を横目に。
海側から少し内陸へと足を運びます。
住宅街、マンション街を抜けます。
きれいな並木が多いところでした。
やがて、富岡八幡公園に差し掛かります。
この公園の中に、富岡八幡宮があります。
鳥居が見えます。
そうです、ここが富岡八幡宮です。
富岡八幡宮
富岡八幡宮は、源頼朝が鎌倉に政権を打ち立てた際に(鎌倉幕府)、兵庫の西宮神社から蛭子尊を勧請し、富岡の鎮守としたと伝えられる古い神社です。それから数十年後に、八幡宮に改められたそうです。
富岡の地も、鎌倉からほど近い場所でなおかつ鎌倉の東北に位置するため、鎌倉の守りという意味を込めて創建されたのでしょう。
なお、この辺りに応長元年(1311)に大津波があり、富岡に近い長浜では、家千軒ほどが一夜にして海中に飲み込まれたという伝承があります。
当然、近隣の富岡にも大津波が襲ったのですが、富岡は八幡宮の山に守られまったく被害がなかったとか。
村人たちは八幡様のご加護に感謝して「浪除け八幡」と呼んで、ますます崇敬の念を篤くしたといいます。
寛永年間には、徳川将軍の家光が江戸の都市計画で、深川周辺の埋め立てをしたとき、幾度か高波をかぶり工事が難儀したことがありました。
そのとき、家光は金沢・富岡の「浪除け八幡」に祈願し、分霊を祀って無事に埋め立てを完成したといいます。
これが江戸最大の八幡様として信仰を集め、「深川八幡様」と親しまれた富岡八幡宮の起源といわれています。
続きます。
(日時指定投稿です)