5月20日になります。
我が(仮称)歴史散歩サークルのイベントで、「幸手散歩 ~宿場町を歩いて幸せを掴もう~」を開催しました。
主宰は私ではなく別の方になります。
私はサポート役に徹します。
当日の主なコースはこのような感じです。
幸手駅→東武日光線と幸手城址→一色稲荷神社→満福寺→幸宮神社→日光参詣の迂回路:日光御廻道→寶持寺(ほうじじ)→橘守部翁遺蹟碑→権現堂堤と土木遺産→行幸湖(みゆきこ)と権現堂大噴水→さくらファーム(トイレ休憩)→熊野神社→浅間神社→幸手本陣跡→永文商店と荷出し用トロッコ→明治天皇行在所跡→神明神社と菅谷不動尊→神宮寺→日光街道と日光御成道の分岐点→琵琶溜井と葛西用水→石井酒造→祥安寺→幸手駅(解散)
まずは東武線の幸手駅集合。
早く着いたので、少し近くのカフェで休憩する私。
オープンカフェスペースがあり、なおかつ丁寧な店員さんで感謝(^^♪
13時から散策開始です。
まずは駅前にある地図を。
幸手は、中世期までは足利氏の一族である「一色氏」の城下町でしたが。
江戸期以降は日光街道の宿場町「幸手宿」として栄えます。
その遺構を中心に見ていく散歩となります。
日光街道ということは、将軍の御成があった場所です。
駅前には、このような石碑が。
東武鉄道日光線開通記念碑です。 昭和4年開業とのことです。
ここより、一色氏の城下町の名残を見てまいります。
一色氏の城下町・幸手
室町時代、天下の将軍家となった足利氏の一族である「一色氏」は、古賀公方の重臣でした。
幸手駅の周辺が、一色氏の城があった場所とされております。
なのでこの中心部に、一色氏ゆかりの史跡が多く残ります。
こちらは、一色稲荷神社です。
駅からすぐのこのあたりに、一色氏の城郭があったのだとか。
ここから寺社仏閣が続きます。
こちらは天祖神社です。
銀杏の木が見事でした。
こちらは満福寺です。
室町期にはすでに建立されているようです。
江戸期の天明の大飢饉の際、金持ちたちが私財を出し合って、飢えに苦しんだ人々をこの地で助けたと伝わります。
続いて幸宮神宮です。
名前の通り幸手宿の総鎮守の神社です。
続いては、身代わり地蔵です。
この道沿いは「日光街道沿い」にあたり、将軍が日光参詣で通っております。
続いて、こちらが一色氏の菩提寺となる寳持寺です。
山門が立派で、そこに続く参道もまた立派。
そしてこの神社、躑躅が綺麗でした♪
そしてこちらは、橘守部翁遺蹟碑です。
橘守部とは、江戸後期の国学者。もともと伊勢国(三重県)の出身で、このあたりに30年間以上住み着いたのだとか。
国学の主流とされていた本居宣長を痛烈に批判し、「神話と史実をキチンと分けて考えよう」という趣旨のことを唱えた方だということです。
このあたりで一色氏関連の史跡はほぼ終了。
次は河川沿いの「権現堂堤」界隈のコースの話となります。
(続きます)
(日時指定投稿です)