金沢八景~文庫を歩く散歩の史跡紹介、第3弾は。

琵琶島弁財天です。

平潟湾に突き出した場所に鎮座しています。シーサイドラインの金沢八景駅からすぐのところにあります。

 

  北条政子が勧請した琵琶島弁財天

 

国道16号線を挟んだ対面に、夫である源頼朝が瀬戸神社を創建しましたが。

妻の政子もこの地に、近江の竹生島弁才天を勧請し、ここに琵琶島弁財天を建てます。

祭神はイチキシマヒメ。立ち姿なので「立身弁財天」などとも呼ばれており、昔から立身出世の弁天様として信仰を集めています。

弁才天はもともと水の神様で、海上の安全等を司るものでしたが、いつしか音楽や学芸の守護神としても、また福徳の神としても信仰されるようになりました。

 

 

  福石

弁才天の入口に、金沢四石の一つである「福石」が鎮座しています。

もとは、参道の東側の浅い海の中にありましたが、昭和41年に国道16号の拡幅工事のため今の位置に移されたそうです。

 

瀬戸神社には、福石について次のような社伝があります。

頼朝がこの地に伊豆三島明神の分霊を祭った時、頼朝は海辺に降りて海水で身を清める「みそぎ」の神事を行った。その折、この石に衣服を脱ぎ掛けたので「服石」とか「呉服石」の名が起こったと伝えられる。

また、土地の古老によると、この石の前で何かモノを拾うと大いに福を得ることから「福石」と呼んだという話もある。

 

江ノ島弁財天の参道にも同じ福石があるそうです。

杉山和一という目が不自由な人が弁財天にお参りした帰り道で、この石の側でつまずいたそうです。

そのとき、偶然に拾ったのが竹の筒とその中に入った松葉でした。これにヒントを得て考案したのが「杉山式管鍼」だそうです。のちに、将軍・徳川綱吉の病を治したことから信頼を得て、ついには「関東総検校」という盲人最高の栄誉を与えられたそうです。

居語、出世した杉山検校にあやかって、この石の側で何かを拾うと福が授かるという信仰が広がって、福石と呼ばれるようになったそうです。

江ノ島弁財天は、養和2年(1182)に頼朝が奥州の藤原氏征伐の折に祈願したのが始まりと言われています。ただ、奥州征伐はこれより7年ほど後の事なので、この説は違う気がします。

その江ノ島弁財天は、近江の竹生島、安芸の厳島と並んで日本三弁天の一つに数えられ、北条家の守り神となっていました。

そして政子も、それにあやかって、六浦湊の繁栄や北条家の安泰を祈願して、琵琶島弁天を祭ったのでしょう。

 

(日時指定投稿です)