先日歩いた「金沢八景~文庫」の散歩で、訪れた名跡史跡について詳細な紹介をしたいと思います。

今日は、金沢八景駅のすぐ近くにあります、「円通寺客殿と権現山」です。

 

円通寺客殿を、駅から通じている階段から撮影。

実はこの建物、毎日通勤する京浜急行からの車窓で気にはなっていたのですが。

そういうものなのかを全く知らずにいました。

なので、まったく初めての場所でした。

 

  日輪山円通寺

この建物は、寺院そのものではなく。

かつてあった日輪山円通寺という天台宗の寺院の遺構です。

円通寺自体は、明治維新の神仏分離令(廃仏毀釈運動)によって廃寺となってしまいました。

こちらの茅葺きの建物は、円通寺の客殿です。

内部が見学できます。

 

 

客殿の奥座敷の長押の釘隠しは「三つ葉葵」で飾られ、将軍・家光が使ったという手あぶり火鉢などが伝えられています。

また、円通寺の歴史や、金沢地区の歴史なども紹介されています。

 

 

 

 

  徳川家康が金沢へ

実はこの円通寺は、且つて東照宮も鎮座しておりました。

この地の代官である八木次郎右衛門が東照大権現である徳川家康を祀っており、円通寺はその別当寺でした。

何故この地に東照宮を祀ったのでしょうか?

それは、徳川家康が関ケ原合戦の前哨戦である「会津上杉氏征伐」に向かうため、上方から江戸に向かっていた途中、この地に停泊したからです。

慶長5年(1600)6月16日、家康は5万5千の大軍を率いて大坂(大阪)を出発。会津上杉氏征伐のためです。

その途中、江ノ島や鎌倉の鶴岡八幡宮に参詣し、7月1日に金沢に宿泊します。

この時の家康の行軍は実にゆっくりです。大坂から相模国と武蔵国の境目である金沢まで約半月かけております。

これは、大坂を留守にした際「誰かが挙兵し、背後を衝くのではないか」との恐れがあり、慎重な行軍をしていたからだと言われています。

その後、大坂で挙兵した「反家康軍」を討つべく家康方も反転して、9月15日の関ケ原合戦に大勝します。

その後、家康は征夷大将軍となり、江戸を本拠とする政権「いわゆる幕府」が樹立され、長期にわたる安定政権の基盤を築きました。その家康の功労を思って、江戸幕府の代官である八木が作ったのは自然な流れです。

明治初年度の廃仏毀釈運動で円通寺は廃寺となった後、東照宮は明治11年(1878)に瀬戸神社へ合祀されました。

東照宮は、円通寺客殿の奥一段高いところに鎮座していました。

なお、東照宮が鎮座していたことで、この円通寺の裏山を「権現山」と呼んでいます。金沢の入江に近い高台なので、金沢探勝には絶好の展望地だったようです。

 

(日時指定投稿です)