久しぶりに、東京お散歩教室に参加してきました。
今回の散歩は、御成門~虎ノ門というコース。
距離はそう長くないのですが、見所がなかなか多いので時間がかかるというコース。
こちらの「二天門」を後にして。
先日紹介したイチョウが綺麗だった芝公園を通過して、まずは「青松寺へ」。
釈迦牟尼仏を本尊として祀る曹洞宗の寺院です。
江戸府内の曹洞宗の寺院の江戸三箇寺(青松寺、泉岳寺、総泉寺)の一つ。
太田道灌が創建し、徳川家康による江戸拡張で現在地に移転、とあるのですが・・・。
江戸の寺院ってさ、必ず太田道灌と徳川家康を入れて、博を付けてんじゃね~の!?って思ってしまいます。(笑)
それは言い過ぎかな・・・( ;∀;)
ちなみにこの寺院、明治8年(1875)に「曹洞宗専門学本校」を開校し、これがのちの駒澤大学のもとになったそうです。
面白いのが、山門にある仁王様他四天王が・・・。
悪(鬼?)を踏みつけているという設定の姿が・・・(;´∀`)
ちょっとユーモラスな(´_ゝ`)
こちらは、観音様。
ここを後にして、次は愛宕神社へ。
この愛宕山というのは、標高約26mで、自然の地形としては23区内で一番高いのだとか。
慶長8年(1603)に、徳川幕府を開いた家康が、江戸の防火・防災の守り神としてこの地に創健。
慶長15年には、社殿をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等が、将軍家の寄進によって建立されます。
そして、この愛宕神社と言えば、この階段・・・( ;∀;)
この石段は「男坂」で、「出世の石段」と呼ばれています。
有名なエピソードがあって、寛永11年(1634)三代将軍徳川家光が、増上寺参詣の帰りに、愛宕神社の下に差し掛かり、愛宕山に咲く源平咲きの梅を見て、「誰か馬にて取って参れ」と家来に命じたが(そんな命令を下す方もどうかと思うが( 一一))、石段の険しさに誰もがしり込みします。
しかし、讃岐丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬で駆け上がり、境内に咲き誇る梅を手折って、将軍に献上したと言います。
家光は平九郎を「日本一の馬術の名人!」と称賛。彼の名はたちまち全国にとどろき、石段が「出世の石段」と呼ばれるようになったと言います。
はい、私も出世を願って(嘘)、ここを一気に駆け足で上がってみました!(アホか)
・・・・・・・・。
ん~何とか上りましたよ( ;∀;)
ちなみにこの愛宕神社にはもう一つエピソードが。
万延元年(1860)に起きた「桜田門外の変」にて。
水戸の浪士たちの集合場所になっており、彼らはここで祈念した後、桜田門へ出向き、井伊直弼を討ち果たします。
また、明治元年(1868)には、勝海舟が西郷隆盛を誘い、愛宕山の上で江戸市中を見渡しながら会談し、江戸城を無血開城に導いたという話もあります。
こちらは、水戸浪士たちに討たれた井伊直弼の無念を晴らすため、当社におわすひこにゃん。(嘘)
しかし、この白猫ちゃんは当社の癒しなのでしょうかね。(続きます)
※ こちらの史跡の紹介文は、「東京お散歩教室」主宰の小島信康さん作成の史料に基づいて作成しております。
(日時指定投稿です)