平成の怪物と言われた男。

横浜高校春夏連覇の立役者。

デビュー年いきなり16勝で最多勝。

NPB8年間で100勝を超える活躍。

WBCで2大会連続世界一とMVP。

これほどの賞賛を受けた男だが、その末路はあまりに残念です。

 

 

 

彼が大活躍したのは20代の頃まで。

MLBでレッドソックスで世界一になり、2年目に18勝をした頃まででしょう。

30歳を過ぎてからの彼はほとんど戦力になっていない。

つまり10数年間、まともに活躍をしていなかったのです。

あれ程の男が、結局200勝にも届かず・・・。

 

やはり高校時代に、甲子園で投げすぎる投手は難しいんですかね。

桑田真澄だって174勝で終わったし。

ダルビッシュが30代半ばでもあれ程のパフォーマンスが維持できているのは、彼も甲子園ではそれなりに投げているけど。

彼一人だけに頼らないシステムが東北高校で確立してて、過度な酷使にならなかったからでしょうね。

田中将大も、連投こそしたものの、救援という形で対応していたし。(ただ、彼は30過ぎても故障の離脱が少ないのは脅威だが)

 

それと、彼の投球スタイルの影響でしょうかね。

制球力に乏しい彼は、球数をうんと多く投げ込むスタイルで勝ち上がってきていたから、

どうしても無理が重なってしまうというか。

球数をできるだけ少なくという今の風潮からすると、彼は異端かもしれません。

 

ただ、日本球界において、松坂の登場以降150キロを超える投手が続出し、勝てるようになったことが増えた。

投手の総合力は、松坂の登場によって向上した部分も大きいかと思います。

そういう意味で彼は、やはり球界における革命時であり、怪物でした。

 

その彼が、こんな形で野球人生に幕を引くとは。

清原の時と同じような思いが、彼にもあります。

残念ですが、仕方ありませんね。

まずはお疲れさまでした。

今後どうするんだろ?

 

(日時指定投稿です)

フォローしてね!