12月11日に開催した、碑文谷歩くイベント。その後半のレポです。

すずめのお宿緑地公園を後にして、先ずはサレジオ教会へ。

正式名は「カトリック碑文谷教会」。

サレジオ会により1954年に建立。36m程の鐘塔を備えたロマネスク様式の大聖堂です。

この教会が有名なのは、著名人の結婚式が多いこと。

1985年には松田聖子・神田正輝夫妻が、1993年には三浦知良・設楽りさ子夫妻が、それぞれ挙式を挙げています。

 

ここを後にして、碑文谷公園へ。

 

1933年11月15日、碑文谷公園として開園。

公園の中心の碑文谷池は、古来より水田灌漑用の貯水池として地元の人々に大切に維持・管理された池で、当時は現在より大きく、地元の人々にとって欠かせない存在でした。

また、立会川の水源でもあります。

 

ここから、柿の木坂方面へ。

柿の木坂周辺は、約1万2千年前の縄文時代の遺跡が多く発見されています。

柿の木坂の名前の由来は、柿の木がよく見える坂だった、柿を運ぶ車から子供が柿を盗んだ、人家が少なく暗くなると人々が駆け抜けてかよった「駆け抜け坂」が転じた、など数説あります。

 

そして、二つのお寺を紹介します。

まずは「常円寺」。

 

江戸谷中の感応寺九世の住僧日長上人の師であった日信上人が営んだ庵室がはじまりで、日信没後150年後の天正18年(1590)に、小杉甚七が開基となり、常円寺を号したといいます。

 

ここには、被曝地蔵というものがあります。

広島被曝子育て地蔵尊が正式名。

1945年8月6日の原爆を受け、胴体が砕け、奇跡的に頭部だけが残り、当時の西蓮寺住職により「被曝の生き証人」として、大切に保存されています。

 

そして「東光寺」。

残念ながら、ここは入ることができませんでした。

世田谷城主吉良治部大輔治家が、その嫡子祖朝の追福のために臨済宗東岡寺として貞治4年(1365)に創建。

その後東光寺と名を改め、天文19年(1550)に寺領30石の御朱印状を拝領、後に曹洞宗となる。

ここのイチョウが実に立派です、異様なまでの高さ!

最後に、都立大学駅前の模様です。

夕暮れ時、黄昏時の道路、こんな感じで暮れました。

(日時指定投稿です)

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