今日は歴史の話をします。
歴史上の出来事のことや、史上の人物の事などを書いていくつもりです。
今日は、歴史史観を見つめなおすということで。(いきなり大層なこと言ってやがるな、俺(・_・;))
坂の上の雲という明治時代の史観についてです。
坂の上の雲といえば、御存じの方が多いかと思いますが。
明治時代後半に勃発した日露戦争を通じて。
そこで活躍した「明治男」たちにスポットを当てている小説。
この小説の作家はご存じ、司馬遼太郎さんです。
この作品では、登場人物たちが「まこと小さな国の日本を、世界の中で懸命に生き抜いていく」というように、明治時代という時代が実に素晴らしい時代、という設定で描いています。
主役ともいえる、秋山好古・真之兄弟をはじめ、正岡子規、児玉源太郎、乃木希典、東郷平八郎といった面々が、ひたすら国のために力を尽くし、大国ロシアに勝っていく、という姿でした。
明治の男たちは、いわゆる楽観的で、ただただ上昇志向をもって上っていこうとする。
つまり、坂の上を懸命に目指して、上っていこうとしていた、という感じで描いているのです。
この小説を私は何度か読んでいます。
一度目は病院のベッドの上で読みました。(ヘルニアで入院中)
正直、この頃は明治時代に造詣がなく、ただただ「ああ、ロシアに勝ったというのは、ギリギリだったんだ」という印象でした。登場人物に、当時はあまり思い入れができませんでした。
数年後、2度目に読んだときは、大いに感銘を受けました。
秋山兄弟や正岡子規ら、登場人物たちへの思い入れが強くなり、明治男たちの輝かしさと同時に。
この時代の懸命に生き抜いた様に、感銘しました。
私もこの頃までは「明治バンザイだ!」と強く明治維新というものを肯定していました、が・・・。
数年前から、その考えはいささか違うのではないかと思い始めました。
もちろん、日本が封建主義を抜け出し、形の上では近代化し、ロシアに勝った事実はあります。
が、そもそも明治時代って、一般民衆にとって、そんなにありがたい時代だったのだろうか?
むしろ、政府の中央集権化による重税に苦しめられ、さらに徴兵もされ、国民であることを強制された、実に苦しい時代だったのではないか。
一部の武家出身者など、比較的高い身分の人達は、前述したように、国家のために全身全霊を捧げることに一点の曇りもなかったでしょう。そして、そう思い込んでいる分には、充分幸せだったのではないかと思うのです。
だが、一般民衆はそうではありません。武家政権が終わってから50年もたっておらず、国の仕組みが変わっただけで、生活様式とかは江戸末期とさほど変わっていなかったようです。
私は明治維新を全否定するつもりはないですし、明治政府の明治年間の活動は、おおむね正しかったとは思います。
だが、民衆の本当の幸せがそこにあったのか?
国家としては一応強国の仲間入りをしつつあったけれども、国民全体の幸福というのは、まだまだだいぶ先の事だったと思うのです。
この後、大正年間に入ると本当の意味で、民衆の生活も豊かになっていきました。
(もちろん、すべてではないけれど)
真に民衆の時代が始まりそうになったのは、おそらく大正デモクラシーの頃からではないでしょうか?
そうい意味で私は、極端な明治礼賛だけは取らないようになりました。
司馬遼太郎さんは今でも好きですし、司馬史観そのものは否定しませんが。
歴史的史観というのは、その都度変わりやすい、新たなエビデンスが出れば、過去の常識は否定されることもあり得る。
だが、その否定が極端になってはいけないと思っています。
(写真は日露戦争の日本海海戦で活躍した、戦艦「三笠」)
それでも、日露戦争で活躍した面々は素晴らしかったと思います。
秋山兄弟の生きざまは、特に感銘を覚えます。
と同時に、この時代を生きた圧倒的多数の民衆目線での歴史の見方も、今後は大事にしていきたいと思います。
(日時指定投稿です)