間もなく、峰々の残雪が蜜柑色に染まり、わたしを乗せた一番列車が、ことりと、レール上を滑り始めた。
流れゆく車窓からの景色。
仕事とは言え、たまの電車移動に胸が高鳴る。
座席は半分が埋まっている程度か。
なのに、座ろうともせず、制服姿の女子生徒が、昨夜見たドラマの話題に夢中になっている。
その様子を、まるで、我が孫かのように優しく見つめ、微笑む老夫婦。
一方、わたしも含め、年齢的中間層は、些か疲れが見える。
殆どが、ときを惜しむかのように、目を閉じて、足りない睡眠時間を補っていた。
前の座席では、大学生かと思われる恋人同士が、雛鳥のように肩を寄せ合っている。
けれども、銘々に自分のスマートフォンを覗き込み、せわしなく画面をスクロールをしている姿には、どこか矛盾を感じてしまう。
学生時分のわたしを振り返ると、翌日のデートに備え、デートで交わされるであろう会話のシュミレーションを、前夜から、幾度となく繰り返していたものだ。
まあ、本番ではあまりの緊張に、惨憺たる結果であったのだが。
ともあれ、コミュニケーションツールは様変わりしているのだから、わたしの感傷など、どうでも良い。
ときおり、暖色系の日差しが車内に注がれ、人々の表情を消した。
さてと、人間観察はこのくらいにして、わたしは鞄から一冊の小説を取り出した。
高田郁の『ふるさと銀河線 軌道春秋』を。

高田郁『ふるさと銀河線 軌道春秋』(双葉文庫、2013年11月17日)
高田郁は以前、川富士立夏というペンネームで漫画の原作を書いていたという。
本作は、その頃の作品群を、小説に書き改めたものだ。
設定が現代といったこともあり、わたしは、さほど期待をしていなかった。
『みをつくし料理帖』に代表される時代物とは違うのだろうと。
しかし、読み進めていくにつれ、電車の揺れさえも、気にならなくなるくらい、次第に物語へと引き込まれてゆく。
「お弁当ふたつ」
「車窓家族」
「ムシヤシナイ」
「ふるさと銀河線」
「返信」
「雨を聴く午後」
「あなたへの伝言」
「晩夏光」
「幸福が遠すぎたら」
いずれの作品も、電車や、電車に関わる事柄を題材に、家族の絆と愛情、人間の再生と出立、または郷愁や追憶などが、情感たっぷりに描かれていた。
(後の世にヒット作を送り出すも当然だよな・・・)
そんな事を思いながら、後書きに目を配ろうとしたとき、「クスクス」っと、前の座席から小さな笑い声が聞こえてきた。
見ると、恋人同士が互いに目配せをし、わたしから少し離れた左横のほうに目を留めている。
そこには、まだ生後間もない赤ちゃんが、母親の腕のなかで、すやすやと天使のような寝顔で眠っていた。
液晶画面をタッチしながら、赤ちゃんを見ては、何度も顔を見合わせ、微笑む二人。
ーーー眠りを妨げないように、恋人同士はスマートフォンで会話をしていたのだろう。
車内アナウンスが流れる。
安眠を妨害された赤ちゃんが、不機嫌そうにぐずり始めた。
降車しようと歩みを進める女子生徒達は、通りすがりに、そんな赤ちゃんをあやしている。
老夫婦は降りる間際、母親に、苺の入ったパックを差し出した。
遠慮する母親に「この子にだから」と、言い残して。
恋人同士は、赤ちゃんの前の座席へと移動し、何やら優しく声をかけている。
すると、それまでの泣き声が、きゃっきゃっと、無邪気な笑い声に変わった。
乗客を入れ替えた列車が再び滑り出す。
スーツ姿の中間的年齢層だけは、車内の様子を気にも止めず、睡眠を貪っている。
車窓から差し込む木漏れ日が、母と子、そして、そんな親子の姿に、自分自身の未来を重ねようとする男女を、優しく包み込んでいた。
雲



