なかじさんから、養鶏や狩猟について本を書いているカメラマンの繁延あづささん、興味あるのでは?、と紹介を受けた。何か「ピン」とくるものがあったので・・。
繁延さんはこの分野について3冊の著作があるよう。最新刊をネットでポチり、他の2冊は図書館で借りてみた。まず1冊目は「山と獣と肉と皮」だ。長崎に引っ越した著者の繁延さん。駐車場でいつも派手な服を着たおじさんがいて話しかけると見ると猟師さんだった。そしてどうぞと猪肉を渡されのをキッカケにカメラ片手におじさんのエスコートで山に入る(猟に同行する)という話。現代の狩猟がよく描かれていた。繁延さんが一番印象に残っているのは、猟師が動物の命を止め刺す行為を行なっていることだったらしい(と僕は読み取った)。全ての猟師は捕獲した獲物を殺しています。命をいただいてそして食べてる。でも当たり前すぎてこの行為について深く考えることはなかった。
僕は食いしん坊で、かつ自分の口に入れるものがどこに由来するか知りたい方の人だった。だから社会人になってからまず家庭菜園を始めた。その後釣りを覚え、腕を上げていった。時に1m近い大きな魚を釣り上げ、シーカヤックの上で動脈を切って血抜きをし、内臓を出して寄生虫が魚肉に移るの防ぎ、心臓を取り除き循環を止めるといった作業を普通に行なっていた。その延長でイノシシの狩猟に入ったので、命を刺し止めてお肉をいただくというのもスルスル〜と入ってしまい抵抗がなかった。
食べるという行為は生きる上で必須の行為であり、食べる以上、他の生き物の命を奪うことはイコールの関係。魚も野菜も命あるもの。それをいただいて美味しく感謝していただく。ただそれだけ。こだわりは・・ない。
初めて差し止めを担当した時。イノシシを逆さまにして首元から長い包丁を胸に差し入れる。水道の蛇口を捻った時に水が噴き出るけど、そんな感じで赤い血が出てきて手にかっかった。軍手を通して血液が染み込んできて温かく、「生」を感じ、そしてその後に猪の死も感じた。
でも、スーパーで売ってる豚肉も牛肉も元々生きていた動物で、どなたかが屠殺して解体してトレーに乗せただけ。大した違いはないと思う。問題はスーパーの肉は動物の生と殺を感じないこと。それを見ないで済んで、そこに気持ちを至らせないで済んでる。要は見えなくしてるのだ。
僕はどこか昔からやられてることを肯定する人間。古いもの、伝統的なこと、大好き。狩猟採集の時代から獣を狩り、そして食べていたのだからそれを反射的に肯定してしまう方。どう逆らっても自分のDNAの中に狩の本能は刻まれてる。だから僕は狩猟活動の中でこれが目覚めるのを感じてるし、覚醒させるように努めている。すでに狩猟のスイッチは入ってしまってる。
この本の表紙が物議をかましてしまったそう。表紙の写真の掲載を拒否する新聞社、書評が多かったらしい。人を不快や不安にさせるのだそうだ。見たくない人は見なければいいし、背を向ければいい。でも、本当を知りたい人、あの温かい赤い血に触れたい人もいるはずだ、数は少ないだろうけれども。自分の中にある野生や狩猟本能を覚醒させたい、そのスイッチを入れたい人はいるはずだ、数は少ないだろうけど。もし、そんな人がいたらぜひ葉山わな猟の会栗坪班へ。連絡は僕のところへ。
第二作目は「ニワトリと卵と、思春期の息子」だ。前作の苦労からか、リアルな表紙でなく絵になっている。今度は中学生の息子さんが庭先養鶏ををやると宣言。目的は平飼い卵を鶏に産ませ、販売して利益を得ること。ストレートでよろしい。でもそこから派生する範士や方向性がさらにいい。養鶏で問題になるのは、この鶏はペットなのか?、家畜なのかだ。息子さんは家畜だと。そうなるとセットになるのは、どこかで廃鶏問題が生じる。産卵率の落ちた鶏を処分するのだ。処分って??、それは殺すこと。そしてそれを食べること。息子さんはこれをやってのけた。素晴らしい。どんな大人になるのか将来が楽しみ。
しかし、話はここで終わらない。サラリーマンであるお父さんがリストラに。そしてしばらくして「養鶏家になろうかな」と宣言するに至るのです。そのシーンでこの本は終わるのです。お父さんは養鶏家になれるのか・・。それは第3作目で語られるでしょう。
しかし、こんなマニアックな本を蔵書している逗子図書館。素晴らしい!。嬉しく、誇りに思います。
今、第3作目の本「鶏まみれ」を読んでいます。そして新しいアイデアが浮かびました。当ブログ、2005年から20年強続いてます。目標は毎日更新でした。ほぼこれは達成していました。でも方針を転換しようかと。エントリーは週に2−3回にし、その分、少し奥行きのある、自分の考えを長めの文章で書くスタイルに変えていこうかと思います。今までは書き散らすスタイルだったけど、僕も55歳になりそろそろ残された時間もそう長くはないでしょう。限られた時間の中で高いパフォーマンスを出すための方針転換。どうぞよろしく。

