1990年の総選挙の時、私は高校3年だった。

全体としては自民党が安定多数を維持したが、社会党が圧勝した。

私の住んでいた大分1区では、衛藤晟一(自民)が2度目の挑戦で議席を奪った反面、木下敬之助(民社、後に大分市長)が敗れた。

大分県では社会党の議席増はなかったが、1年浪人して東京に引っ越すと、社会党は大変なことになっていた。「東京の11選挙区中、10区で12人を当選させた」と「上げ潮」ムードだった。

私が住むことになった区でも「公明前職を破り7年ぶりに議席を得た」と喜んでいた。

しかし、私の区もそうだが、社会党はどちらかといえば、自民党より公明-共産-民社を奪っての勝利だった。

リクルート事件を始めとする政治腐敗が「政治改革」のもとに小選挙区制の話になり、社会党は「比例代表併用制なら」政権が取れると勘違いしたように思う。

1990年の社会党の圧勝が「社会党の終わりの始まり」であったと今になれば思う。