昨日の続き


昭和天皇死去の発表がされてから2日間、NHK-民放ともに特別編成となった。民放はCM抜きである。


この時、1月7日(日テレ)8日(フジ)と2日のキー局を変えた日本で唯一の局がテレビ大分だった。


この頃、青森放送-山形放送-山口放送など日テレとテレ朝のクロスネットが多かったが

日テレがメインと決まっていたので、3局とも2日間日テレをネットした。


テレビ大分は、初期は「視聴率の高い番組をネットした方が儲かる」との姿勢が鮮明だった。開局時は朝はフジだったが「ズームイン朝」の躍進で日テレに切り替えた。逆に「夕焼けニャンニャン」は週1回深夜→毎日深夜を経て、1年遅れで同時ネットになった。


しかし特に大分朝日放送が開局した1994年頃から時間帯-曜日によって、日テレ-フジのネットが固定されるようになった。


その最たるが、大分市出身の杉崎美香がメイン出演しているのに「めざにゅー」をネットしなかったことである。私は何度もテレビ大分にネットを要請したが「朝は日テレなので」とにべもなかった。とうとう私の方が関東に引っ越した。


今ではテレビ大分のクロスネットは評判が悪い。半分がCATVに入り半分は諦めている。