vol.001「橘氏と皇統-敏達天皇の2人の皇子」 | “GIGS”CASE OF JOGIH

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ジョギーはちょっとだけ日本史に興味が

あります。

守備範囲は飛鳥時代〜平安初期。

歴史小説、歴史漫画、歴史ドラマが好き、

という程度で難しい文献を読んで勉強してる

ってほどではありません。


いろんな人の書いた解説読んだりとかwikiで

調べたりとか程度です。


そんな中からふと思った事を呟こうかな〜

というのが本テーマです。

さてそんな最初の本日のブログは!


嵯峨天皇と橘嘉智子が婚姻し2人の間の皇子が

天皇に即位し仁明天皇となった事で、実は

数百年前に枝分かれした皇統が統合された


という事実です。


ジョギー的な興味深さの段階を10として

単位を「jghy(ジョギーへー)」とします

(語彙力皆無っw)


本件は8jghyぐらいですかね。


ジョギーは里中満智子氏の「天上の虹」

「長屋王残照記」「女帝の手記」の愛読者

です。

これらの劇中に登場する橘氏というと

「橘諸兄」が印象に残っています。


上記作品群ではどちらかというと脇役

ですが。

彼の曾孫が橘嘉智子で嵯峨天皇の皇后と

なる女性。

で、脇役のイメージな橘氏ですが系図を

調べて見るとなんと敏達天皇に辿り着く。



粗末ながら系図を作ってみました。


橘諸兄の父親が確か○○王って人物だったな

〜と記憶にありました。

美努王という人物ですがこの人から辿って

いくと


諸兄>美努王>栗隈王>難波皇子>敏達天皇


という具合です。

一方、皇統は逆に敏達天皇から順に下って

いくと


敏達>(押坂彦人皇子)>舒明>天智>(施基皇子)

>光仁>桓武>嵯峨


という具合です。

つまり敏達天皇の2人の皇子のそれぞれの

子孫が平安時代に統合されたわけです。


皇統のほうは歴史の表舞台で脈々と流れて

行くのは当然として。

傍系となった敏達天皇の息子、難波皇子の

子孫が表舞台から外れそうで踏ん張り、

奈良時代に諸兄が臣籍降下して橘諸兄と

なって閣僚の主席となった事で徐々に表舞台

に躍り出る。

そして諸兄の曾孫の嘉智子が天皇の妻となり

皇后まで昇りつめて、所生の皇子が天皇と

なる。


橘氏に視点を置いて系図を眺めてみると

「見事な復活劇っ!」と思わされるんです

よね〜。

仁明天皇(嵯峨天皇と嘉智子の息子)以降も

嵯峨&嘉智子の血筋は現代まで続いています。


ちなみに臣籍降下した諸兄。

その母(美努王の妻)は「犬養三千代」という

女性です。

宮仕の女官だったそうですが、その働きぶり

を時の天皇から讃えられ「橘」という姓を

授けられ「橘三千代」と改名しました。


諸兄は臣籍降下の際、母が天皇から授け

られた姓を名乗ったというワケです。


この三千代という女性、初婚の相手は

美努王ですがその後別の男性と再婚?して

ます。


実は彼こそが時の権力者「藤原不比等」。

持統朝〜聖武朝まで権勢を振るった藤原氏

の礎を築いた男。


三千代は不比等との間に「安宿媛」という

女子を設けました。

そしてこの安宿媛こそが後の光明子、つまり

聖武天皇の皇后、光明皇后です。


次回(次回書くほど気力あるかわかりません

がw)、この時代の藤原氏について触れたい

と思います。