12/31に発熱してから気分が乗らない感じで年初を迎えてしまいました。幸いなことに怠さは1日のみで1/1は熱も下がり、鼻腔の痛みだけで咳もなかったので、デパ地下で買ったお弁当を持参して義母宅へ行き、娘と3人で質素なお正月を過ごしました。

今日まで本調子ではなく、なんだか乗らないお正月です。娘も「なんだか今年のお正月は全然楽しくなーい、なんでだろ」と。明るく言っているのが救いです。それに能登半島の方達から見れば贅沢な話です。


昨年夫と過ごしたお正月や最後の主治医とのやり取り、呼吸器科や脳外科の先生とのやり取り、息を引き取る時の夫の様子を思い出したりして感情がぐちゃぐちゃです。うだうだ不満を書いてみたりしましたが、もう意味がないとやめました。


考えてみたところで、夫の命はテレビが消えるようにプツンと切れているんだし、もはや脳も感情もないわけで、私が一人で泣いていても何の意味もありません。悲しいのは私だけ。夫の感情はない。意識を失った時のように夫の感情は「無」です。

ただ、一人の命がなくなったことがとても悲しい。寂しいとかいうことではなく、夫が生まれて一つ一つ経験したこと、感じたこと、身につけたこと、成長してきた身体、老いてきた身体、全部がなくなったことがとてつもなく悲しいです。元気な時は家事のことで何度となく喧嘩していたのに、フラフラが始まっていた7月、皿洗いをしようとした夫。そんな夫を連れてくなんて、神様、相当意地悪だわ。


両親が離婚した時は離婚ってなんて悲しいことかと思っていたけれど、命があるだけまだいいし、幸せになってやるって強い気持ちで進めるだろうけれど、死別はそうはいかないですね。前向きに進むことが悪のように感じてしまいます。


夫はもう「無」なのに、存在しない人を相手に勝手に一人で悲しんで勝手に閉じこもっている、そんな感覚ですね。いつかは皆経験すること、私は少し早かっただけ。そう考えてみますが、悲しいものは悲しいです。


3日間運動もサウナもしなかったのがいけないのかもしれません。今日は軽くHIIT。明日はjogとsaunaをしなければ。


健康志向のネタとしては、鼻腔をやられたため、夫が沢山残していき処理に困っていた『葛根湯加川芎辛夷(かっこんとうかせんきゅうしんい)』を飲んでみました。スースー鼻が通ります。


それと、夫の免疫のために買っていたマヌカハニーを舐めたら喉がピリリとして効いた気がしたので、痛みのある鼻腔にも良いのではないかと思い調べたら、綿棒で鼻の奥に塗っている人いますね笑 殺菌してくれるのだとか。やってみました。んーよく分からん。鼻汁は流れる気がします。今度は風邪の引き始めに即行試そうと思います。