『山桜集』 ~ 道すがらあたの屍に野の花を一もと折りて手向けつるかな(中村覚)

『山桜集』は、日露戦争の従軍将兵および遺族、銃後の人々の詩歌を日露戦争のさなかに集録・編纂したものである。詩歌の内容は、和歌(短歌、長歌)、軍歌、歌謡、俳句、漢詩に分類され、巻頭には明治天皇御製ならびに皇后宮御歌を掲げ、将士兵卒から銃後の国民におよぶ短歌千二百余首が掲載されている。
発行は、明治三十八年(一九〇五)二月二十六日。当時の国民的情意を伝える大歌集が、戦局の予想もつかない熾烈な戦争のただなかで出版されていることは、注目に値する。

 中村覚は滋賀県出身の陸軍少将(のちに侍従武官長、大将)。日露戦争に歩兵第二旅団長として出征、旅順要塞攻囲戦に参加した。三度にわたる総攻撃の失敗をうけて、第二回総攻撃にあたり乃本第二軍司令官に意見具申。「自欅隊」なる三千余名の奇襲決死隊を編成、自らその指揮官になり勇名を馳せた。

「あた」とは仇、「敵」のこと。明治天皇の御製に「国のためあたなす仇はくだくともいつくしむべきことな忘れそ」「な忘れそ」とは「忘れてはなるまいぞ」の意)があるが、この歌は、この御製に呼応するかのような、「敵軍の屍に野の花を手向ける」、「いつくしみ」の心にあふれた「ますらお」の歌である。


[1] 小柳陽太郎『名歌でたどる日本の心―スサノオノミコトから昭和天皇まで』草思社、H17