ようこそ、Mr.ノースのブログへ!この8月夏に私が感じたアメリカの教育の光と影についての記事です。前々回の続きですね。

貧困層が住む通りを訪れ、その地域に学習障害の子が非常に多い理由がわかりました。

幼児期、親ときちんとした文章での会話をしないので、その年齢で築かれるべき言語能力の土台が貧弱になってしまう。

日常のコミュニケーションが乏しいので、数の概念など生活の中で自然に身に付くものが身に付かない。就学年齢を向かえるまで足し算を一度もやったことがないために、国が決めたレベルの学習を決められた一定時間で消化できない。

知的好奇心を刺激されるような場所に連れて行ってもらえないし、何か質問すれば疎まれ、叱られるので、知りたい、学びたいという気持ちがなくなってしまう。

「諸悪の根源は貧困にある。」と私のホストファミリーは言い切っていました。要はエネルギー、活力の問題だと言うんです。日々の生活に疲れ果てて子どもの教育はもちろん、まともに相手をすることにすら力が回らないのだそうです。

子どもはたくさん動きまわり、たくさん質問をして成長していきますが、貧困層の親たちは生きていくのがやっとなので、いつもイライラしていて、それがうっとうしくてたまりません。だから怒鳴ったり、汚い言葉をぶつけたりするんです。

今回、アメリカの富裕層と貧困層の両方を見て、つくづく感じたのは幼児期における教育の大切さでした。

と言っても漢字やら算数やらのドリルを小さいうちからガチガチにやらせるというようなことではありません。親子間のコミュニケーションを十分にとって言語能力や日常生活で必要とされる能力のベースを作ること、知的好奇心を刺激して知る喜び、学ぶ喜び、調べる喜びを教えることが本当に重要なのだということです。

つづく