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先週金曜日、6年間担当していた子たちが、とうとう卒業しました。私たちの学校では、学年担当は卒業生よりも先に式場に入り、壇上で彼らの入場を待ちます。入学式の時は担任が先頭に立って行進し、合図を受けて着席しましたが、卒業式では生徒たちだけで歩いて来て座ります。6年間、この学校で学び、自立した存在になったということを表しています。

お琴教室だろうが自動車の教習所だろうが、全ての学校のゴールは自立です。先生がいなくても自分一人でできるようにすることです。私たちの学校は、生徒たちを国内はもとよりグローバル社会の中でも独り立ちできるように育て上げます。なので、卒業後は自分が学びたいものを追求し、親元を離れて他県や海外大学に行く子も大勢います。

6年間、毎日、自分の家族といるよりもたくさんの時間を共に過ごしてきた人たちが、ある日を境に一気にいなくなる。こんな職業は教師以外にあるのでしょうか。自立を目標にして来たわけですから、卒業は、私たち教師にとって念願が叶う最高に嬉しい日なわけですが、同時にその日は最高に悲しい日なんです。その別れの悲しみは言葉では言い表せません。 

「卒業生入場」と司会の先生が言うと、吹奏楽部が「威風堂々」を演奏し始め、生徒たちが文字通り堂々と歩いて来ます。『入学式の時はあんなに不安そうだったのに。』と思っていると、曲調が変わり、例のゆっくりして部分になります。私はここで堪え切れなくなり涙が溢れてきました。まだ始まったばかりだから我慢しなきゃと思った瞬間、隣に座っていた先生が号泣を始めました。その先生にとっては、初めての卒業生ですから無理もありません。ここままだと呼名ができないと心配しましたが、頑張って一人ひとりの名前を呼んでいました。

その後、私は校長先生やご来賓の方々からの祝辞、祝電を聞きながらも涙がこぼれっぱなしでしたが、壇上の高3担当教員が総崩れになったのは、やはり卒業生代表による答辞からでした。

いじめの全くない、親切すぎるほど親切な学年でした。勉強や部活、行事の忙しい合間を縫って、色々な社会貢献活動を行ってきました。そんな生徒たちと熱い先生方が一つのチームとなり、受験も最後の行事として、協力して楽しみながら準備していました。わからないところがあれば、先生に聞きに行く前に生徒たち同士で聞き合い、教え合っていました。放課後には数学が得意な生徒が教壇に立って講習を開いていた場面もよく見ました。

そのようなことが答辞で述べられると、これまで当たり前だった日常が、もう当たり前ではなくなるんだという淋しさが込み上げてきます。卒業生からも先生からもすすり泣く声が聞こえてきました。

親御さんへの感謝の言葉が述べられると、お母さん方が一気に泣き始めました。

答辞が終わるとすぐに「仰げば尊し」です。1番は卒業生だけで歌います。出だしは泣いていて声が出ませんでしたが、すぐに頑張って大きい声で歌っていました。でも、「今こそ別れめ」のところに来ると、またガーッと涙が出てくるのが、壇上から見ていてもわかりました。2番は先生と在校生が歌います。しっかりと送り出そうと私も元気を出して歌いました。でも「別れ」と言葉にした瞬間、やっぱり涙が溢れてきて泣き声になってしまいました。3番は皆泣きながら全員で歌いました。「仰げば尊し」は本当に感動的で、すごい曲だなとつくづく思います。

最後は校歌です。この子たちと歌うのは最後だと思うと本当に寂しいのですが、元気な曲なので皆大きな声で歌いました。うちの校歌の歌詞は、1番から3番まで、社会に飛び出して自分らしく活躍しようというメッセージが詰まっているので歌っているうちに心から卒業を祝福する気持ちになりました。

式が終わると一人ひとりが壇上に上がって先生たちと握手をして式場を後にします。涙を流しながら笑顔で握手をする卒業生たちからも巣立ちの決意を感じました。彼らの今後の活躍が楽しみです。
Mr.ノースのブログを覗いていただき、ありがとうございます。今年、2回目の更新です。書きたいことは、たくさんあったのですが、どうしても時間がとれませんでした。

始めた時から、このブログを書くこは通勤電車の中と決めています。学校でも自宅でも他にやらなけれならないこと、やりたいことが色々あるからです。今学期は、その色々をやる時間がほとんどありません。今、とにかくやっているのは、高校3年生が解いてきた大学入試の過去問を添削することです。

私の勤めている学校では、高三生は、3学期は授業がなく、自由登校になります。それぞれが自分の目指す進路に向かって十分な準備をするためです。

授業がないなら、高三担当の先生は楽になると思われるかもしれません。確かに体育などはそうです。ですが、入試科目の先生たちは過去問の添削を頼まれるので、逆にものすごく忙しくなるんです。

添削とは単に⭕️をつけて終わりではありません。それについてのアドバイスをしなければなりません。当然のことながら、それは一人ひとり違うものになります。なので、朝から面談が続くわけです。結果、授業がある時より多くの時間、生徒に教えることになります。生徒は面談の度に新しい答案を持って来ます。

また、学校に来ないで自宅などで勉強している生徒もいます。その子たちは解答用紙を写メでどんどん送ってきます。なので、先生たちは家でも常に添削をすることになります。2時過ぎまでかかることもざらにあります。

でも、その添削の日々も今日で一度一区切りです。私立大学の受験はほぼ終了し、明日明後日で国立大学の前期試験も終わるからです。ということで今日は久しぶりに、このブログを更新したというわけです。

受験が終われば、来週はいよいよ卒業式。それが終われば国立大学の後期試験の添削がスタートします。

2017年もMr.ノースのブログへようこそ!本年、最初のブログですね。年が明けて、すでに19日。年末の文科省主催によるフォーラムでの発表とか、新年の挨拶とか、色々と書きたいことはあり、もっと前に更新したかったのですが、年末から今日まで、まさに分刻みのスケジュールだったので今に至りました。

まず、年末の発表会は大成功でした!私は実践中のグローバル教育法について発表しました。それには大きく2つあります。

一つめは、教科連携型アクティブラーニング授業です。今の地球社会が抱える問題、例えば環境やイスラム国、原子爆弾などですが、将来的にそれらを解決に導く子たちを育てるため、色々な教科が連携した授業を行います。講義や本を読むだけでなく、生徒自身が調べ、日本語や英語で話し合ったり、ディベートや発表をします。もし、原子爆弾のない世界を実現したいという平和観、自然との共存意識、発展途上国に対する思いやりなど、日本人が持つ発想が世界中に広がっていけば、この地球社会は今よりももっと良い方向に動いて行くはず。だからこそ自分の考えを世界に発信できる人を育てる授業をしなければならない、そう話しました。

もう一つは、サービスラーニングです。無理に訳すと社会奉仕活動学習となると思います。アメリカでは、高校時代にこれをやっていないと大学に入学できないといったように非常に重要視されています。青年期の間に社会貢献の大切さを学んだ人たちが社会を作っていく。考えてみれば、当たり前のことですよね。でも、これまでの日本は違っていました。ペーパーテストの点数が良い人たちが社会を動かしていくボジションについていました。でも、これからは実践力、創造力、柔軟性などを兼ね備えたリーダーが必要と、色々な所で叫ばれるようになりました。そういった力は、実際に行動した経験を通して身につくものなので、サービスラーニングを日本でも広げたい、そう話しました。

その会場は大きく、日本全国からグローバル教育に携わっている人たちが千人近く集まりました。人前で話すことには慣れているので、普段はそんなに緊張しない方なのですが、この日は発表前に、ちょっと緊張しました。それは聴衆が千人だからではなく、与えられた時間が上記のような濃い内容であったのに対して、15分と非常に短かったからです。この時間で発表するには、かんだりせずに流れるように話さなければなりません。間もあまりとれないので、その分強弱をつけて表現しなければいけません。それはまるで脚本通りに台詞を言わなければならない舞台のようです。こうなると、さすがに緊張しますよね。特に私はディベート部の顧問として普段から生徒たちにスピーチは決められた時間内で必ず終わらせるように強く言っている立場上、絶対に15分で終わらせなければと思いました。その上、早口もダメ、ユーモアも入れなければダメと生徒たちに言っているので、かなりキツかったです。

結果は、最初の方で機械の操作に戸惑った場面があり、それによる時間のロスを取り戻すために早口になってしまった部分もありましたが、15分ピッタリに終えることができました。概ねしっかりハッキリ話せたし、引き込むための間も作れたので良かったです。

発表後、文科省の方や先生方、企業の方たちが感想を言いに来てくれました。まずは内容に感銘してもらえて良かったです。さらに、話し方や聴かせる工夫、話すスピード、持ち時間ピッタリに終わったこともほめてもらえました。意識して頑張った所が全部評価してもらえて嬉しかったです。

年が明けて、全国の高校の先生はもちろん、大学や企業、マスコミから、もっと詳しく話が聞きたいという申し出が沢山ありました。歴史を振り返ってみれば、一つのスピーチが人々の心を変え、世の中が変わったということは珍しくありません。私もこの15分間の発表に、その効果を期待し、『これを聴いた人、日本を、そして世界を変える同志になってくれ!』という思いを込めました。

これまでの日本のグローバル教育(英語教育も含む)の在り方について疑問を持ち、何とかしたいと思っていた人は文科省にも学校の先生にも企業にもいます。私の発表が、そんな人を少しでも勇気づけることができたのであれば嬉しいのですが。

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先週、2学期最後の授業が終わり、今週は期末テストでした。私が勤めている学校の高校3年生は、3学期は自習となります。なので、彼らにとっては先週の授業が高校最後の授業となりました。さらに言うと、中高一貫校なので、6年間最後の授業なんです。なので、その日は生徒も先生も特別な気持ちになります。

中には、いよいよ授業が終わるという時、生徒たちが感謝の気持ちをサプライズで先生に伝えるクラスもありました。私のクラスでは、授業中に私にたくさん叱られた生徒が突然立ち上がり、皆んなの代表として英語でスピーチをしてくれました。英語の教員としてこんなに嬉しいことはありません。感激していると他の生徒が立ち上がってプレゼントと寄せ書きをくれました。家に帰ってから、生徒からのメッセージを読むと、さらなる感動があります。教師冥利につきる時ですね。

ある国語のクラスの場合は、終わった瞬間に生徒たちが寸劇を始め、それで感謝の気持ちを表してくれたそうです。あまりにも完成度が高かったので、その先生は自分だけでは勿体無いと思い、他の国語の先生たちを呼んで、もう一度その劇を見てもらったとのことでした。

このように最高に盛り上がって最後の授業を終えます。高校3年生は受験一色という学校さんからすれば、こんな時期にそんなことに時間を使うなんて考えられないと思われるかもしれませんね。でも不思議なことに、私の学校の生徒たちは、そういう企画イベントをやればやるほど学力が上がるんです。

振り返ってみれば、今年の三年生も本当に色々やっていました。春の野球部引退試合での応援団、学園祭での舞台劇などは、伝統的に毎年、高3生がやっていることですが、それ以外にも球技大会、クラス散歩、パンケーキパーティー、お餅パーティー、クリスマスパーティーなどなど次々に企画して、一生懸命に準備し、盛り上がっていました。おかげで学年は常に和やかな雰囲気となり、のびのびと勉強できていました。さらにチーム感も強まったことで生徒間で勉強会を開いたりしていました。結果、学力がグンと上がったのかもしれません。

来週の月曜日は終業式です。その後、高3は2時間の学年集会をします。そこでは冬休みの過ごし方とか受験の心構えとかは一切話しません。中学や高校受験と違って、そんなことは本人たちが自覚しているでしょうから。では、2時間も何をするかと言うと、ひたすらモチベーションを上げることに使います。今、先生たちは、いかに生徒たちに元気になってもらうか、色々と考えて準備をしています。

受験は、学園祭や体育祭と同じで学校行事である。こう考えるだけで、先生たちや生徒たちの取り組み方も変わってくるんです。




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期末テスト作りと文科相に送るプレゼンのパワーポイント作りが重なってしまい、先週はプログの更新ができませんでした。毎週、読んでくださっている方、すみませんでした。

先週の土曜日、年に一度の手塚治虫ファン大会が開催されました。私も実行委員の一人なので司会をやらさせていただきました。ただ、今年は学校やディベート連盟の方がものすごく忙しく、事前打ち合わせや準備には全く参加できず、おまけに当日も学校があったので途中参加となりました。毎年、何日も寝ずに頑張って準備をしてくださる委員の方もいる中、いつも申し訳なく思っています。

そんなに多忙なのに、なぜ私が実行委員の仲間に入れてもらっているのかと言うと、放っておくと手塚治虫ファンの数が激減してしまうのを少しでも食い止めたいという思いからなんです。

日本人なら大抵、手塚治虫を知っています。それは手塚治虫が亡くなってから生まれた若い人たちも例外ではありません。歴史上の偉人として本屋さんの伝記コーナーにも並んでいるし、学校の教科書にも出てくるので。しかし、作品のファンとなると、その層は一気に高齢化します。10代、20代だけでなく、30代のファンもそんなに多くありません。

今現在は毎月、手塚治虫のマンガが出版されています。手塚治虫で育った世代が出版社の中心にいて、お金を持っている年齢層がバンバン買うからです。しかし、出版社内の世代交代は確実に起こります。その時、本屋さんの棚に手塚作品が並ばなくなるかもしれません。そうならないようにするためには、まずファンの存在を常にアピールしておくことが必要です。需要があるとわかっていれば、手塚世代でない人たちが出版社の中心になっても本は刷られ続けるだろうし、作品が目に届く所に置いてあれば、若い人が手にして、そさの中から新しいファンが生まれてくるからです。

ファン大会を開催するもう一つの意義は、手塚治虫に関しての貴重な情報を後世に残すためです。大会では毎回ゲストととして、手塚治虫と一緒に仕事をされた方に来ていただき、その方しか知らないようなお話をしてもらっています。「一般的にはこう言われているけど、実は…」なんて話が、この大会では山ほど出てきます。

今、書店で売られている手塚治虫の伝記は、どれも彼自身が書いた自伝をもとに作られているので客観性に欠けます。彼の真の姿を記録することは、マンガ大国となった日本にとって、とても重要です。何せ、日本のマンガに映画並みのストーリーを持ち込み、テレビアニメを始めた人ですから。その黎明期をできるだけ真実に忠実に記録しておくことは、後の研究者のためにも重要ですよね。

今年もファン大会ならではの貴重な話が聞けたし、体験もできました。鉄腕アトムのソノシートを作り、その後の手塚治虫アニメの音楽にたずさわった編集者、橋本一郎さんから、「マグマ大使」の主題歌の中に出てくる子どもの声「カシン、カシン、カシーン」が実は子どもではなく、鉄腕アトムの声を担当していた清水まりさんのものだったという話にはビックリしました。私の小さい頃からの疑問が解決して嬉しかったです。本当は主役の男の子がやるはずで実際にレコーディングもしたのだけど、担当がしっくりこないと感じて、同じスタジオの別の部屋で鉄腕アトムのアテレコを行なっていた清水まりさんを急遽引っ張って来て録音してもらったとのこと。清水まりさんご本人も忘れていた貴重なエピソードでした(大会では清水まりさんが実際に曲に合わせてカシーンをやってくださって場内感動!やっぱり本物をライブで聞くと違います。)

この日、もう一つの大感動な出来事が懇親会の最後に突然起こりました。鉄腕アトムを大合唱するというのがファン大会の恒例なのですが、何と今回のゲストで来てくださっていた鉄腕アトムの主題歌を作曲された高井達雄さんが指揮をしてくださったのです。一言、見事でした。

初参加した20代の人たちに今回の大会の感想を聞くと同じく大感動してくれていて、来年も来たいと言ってもらえました。これだけでも今回の大会を開催した意義がありました。次世代の手塚治虫ファンが少しでも増えていくことを願いつつ、来年も頑張ります。