最初はなんだか拍子抜けなくらい「楽なもんだ」と思っていたものの
徐々に私の体の癖?などに合わせてか、
マシンを使った負荷によって、
体の芯が疲労するというか
嫌な疲れ、筋肉痛というわけではなく、
普段使わない筋肉を使っているというか、
なかなか味わったことがない痛みではある。
20歳?ほど年の離れた若い兄ちゃんに
いろいろと教わるのは勉強にもなるが、
驚きばかりだ。
50近くにもなって、
まだまだ知らないこと
自分の体でも理解していなかったことがたくさんあるようで、
私の場合は、「左」がサボっているらしい。
たしかにいつも踏ん張るときは右で踏ん張っているような気もする
踏ん張れていない、使えていないといわれると
そのような気もする。
長年の癖なんだろう。
思考の癖、思考や性格も癖で歪むし、
気づかないうちに体も歪んでいく。
西成に住んでいた頃はもちろん
今も近場の銭湯に通っているのだが
足首が使えていない、固くなって曲がらないのか
足を引きずるように歩く年配の方も多く見かける。
普通にシュッシュと歩ける人はやはり
「筋肉」なんだと思う。
昔その西成のサウナで「筋肉は大事やで、筋肉は」
シュッシュと歩くどころか
冬のシーズン中はスノボも嗜む70代の女性に言われたことがあり、
ずっと心に留め置いていたが、
年々、確かになあ、言われたとおりだなあ、と思うようになった。
健康寿命で考えたら
残り3分の1ほどか。
家にも学校にも居場所がなく
いつ死んでも構わない、と思いつつ、
飲んだくれたり非建設的その日ぐらしをしてきたままこの歳になってしまった。
河川敷の桜は満開でそれはきれいだったんだが、
一本一本に植えた?家族のネームプレートがかかっていたのが興味深かった。
「●●家」とか
「●●Family」みたいな国際結婚一家っぽいのとか
「●●一族の者たちよ」みたいなのもあって
家族で植樹したのか、
毎年、家族で眺めたりするんだろうか。
家のつながりがあるお家ってなかなか羨ましいものがある。
お前はゴミだ、など
子どもにも言わなさそうな家系だ。
親とは縁をきり
親戚とも疎遠なため、
なかなか一族のつながりを感じる機会がない上に
元々、一緒にいたとしても
バカにされたり、罵られたりなど
つながりを感じる機会などなかったので、
平和な家族が植えた桜は
未来やこの先の春、も感じられてなかなか良いと思う。
ただ家族格差、
血縁のつながりの深さは希望の格差ともつながっていて
虐待が連綿と続いたような血縁の先にいる私なぞは
きっと一族で植樹、などは一生経験できないにちがいない。
まあ、小さな頃は息子も一緒だったが、
今も旦那と楽しく眺められているだけよしとしておこう。
(ちなみに旦那は桜より、桜近くの田んぼにてタガメやオタマジャクシなど生きもの探し。まさに花より生きもの 笑)

