いつまでも踊っていたい | 描いたり書いたり縫ったり塗ったりしてます。

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9月になりました。8月は怒涛の一ヶ月でした。
ちょっと、心理分析をしてみたいです。
先月、究極に生活に変化のあった我が子(と言っても大人ですけども)二人が何故こうなってしまったかを覚書としても書き連ねておこうと思う。

姉の方は、高校の美術学科を出て何故か音楽の専門学校へ行き、ちょっと自分の求めている世界とは違うと中退してから、特にやりたい事も見つからず、流されるままにバイトをし、求められるがままに、とあるダンス教室の先生をしてきた。
彼女の出来るのはタップダンスと演劇。「出来る」というより「好き」が正しいと思う。
姉御肌の彼女は、口は悪いが面倒見はいい。決して褒めて伸ばすタイプでは無いが、困っていればとことん付き合ってくれる。
そんな、性格はサバサバしてるととらえられ、女のネチネチさも無いので、案外子供たちに受け入れられていたようだ。
やらなくてもいいのに、揉め事の間に立ち、出来ないと嘆く人の仕事を引き受け、抱え込んだ。
子供の頃から泣くのは嫌いで、困ったことがあると口をへの字に曲げ うつ向いて絶対に喋らない。バスの運転手には怒鳴られたし、高校では「何だ!その顔は!」と殴り飛ばされた。
頑固だけど人情家というところだろうか…
そこを無意識に利用されると、何でもかんでも押し付けられてしまう。
舞台仕切りから端仕事まで やれと言われたことはやるので、「あらまぁ便利」となり、「来年は全部やってよ」とまで言われていた。
今年6月ごろのことである。

さて、弟の方はと言えば、プライベートな諸事情で、ダンス若しくは表現者として、生活の糧を得るしかないので、高校から芸能コースの専門学校に通っていた。
文章を文字で綴るのが苦手だが、目で見たものや耳で聞いたものをすぐ覚えるので、口頭で試験が受けられたら良かったのにと今でも思うことがある。
ダンス歴は3歳から、とにかくジッとしていられない子供。4歳のある日、鉄棒から逆さに落ちたのに、手をついて転がらずに ちゃんと立った。
こいつ…動きに秩序を持たせたら、ただの暴れん坊にならないんじゃないか?と毎日何処かへ練習に連れて行った。一人で通えるようになるまで12歳まで、ほとんど毎日送迎。
でも、そのおかげなのか、動きがルールにのっとっているので、人が観ていても心地よいものになっていった。親バカかもしれないけど、上着裁きは低学年から際立ってたと思う。
何かのコンクールに出て、些細な賞でももらっていれば、苦労も無かったんだろうが、全く一切コンクールには出たことがなく、彼の一体何処が素晴らしいのかは全く未知であり、オマケに控え目控え目で表に出たがらないので、技量も一緒に演った人にしかわからない。
高校が専門学校だったので、振り付けをするチャンスは何度もあったのに、彼には結局来ず、煮え切らないままに卒業した。
僕にして〜僕にして〜!と言える人が選ばれるものである。
そんな彼に、一曲やってみるか?と声が掛かったのが五年前。一曲でチヤホヤされても次がなければな!と、揶揄した先輩が突然居なくなり、三年前には十曲近くになった。

そう、この三年は、そういう意味では二人にとって試練の三年間だったとも言える。新しいことにチャレンジし、アイデアを出し合い、大きな舞台を作り上げていくのは、産みの苦しみを経てもさぞや楽しかったことだろう。
四年生の時に男の子だけのステージを組んでくれたことがある。その時のお疲れ様会で彼が述べた感想は、「いつまでもこの仲間と踊りたい。」
三年前に偶然にも出来た木曜の夜クラスは、各ジャンルで活躍する懐かしい友が集い、お互いを高め合う、素晴らしい場になった。面白いし、可笑しいし、ダメなとこも良いところもはっきり言い合って、ハチャメチャだけど、真夜中に仕事終わりに顔を出す人も居て、本当に楽しそうだった。
「いつまでもこの仲間と踊りたい。」
彼の願いが叶った場所だった。

でも、それはあえなく三年目にして打ち砕かれた。「そこ」が自分達の持ち物ではないのだから仕方のないことではある。採算度外視してた、と言われれば、そうなのかもしれない。
でも、真夜中から振り写しをしてあげたりしたのも、覚えてないところの練習に付き合ってあげたり、朝になってから帰ったりしたのも、どれもこれも、たった1日の舞台公演のためだった。
その、週に一回の真夜中までやる練習の光熱費が、会社が傾くほどの費用だったのだろうか?
むしろ、皆の心理状態や生活環境を鑑みれば、別仕事もしながらの練習に、真夜中のレッスンは必要不可欠だったと思える。

なんにしても、運営サイドが、そのクラスを仕分けしてしまい、しかもそれが全員での協議ではなく、数名との対談による決定の伝達であったのは、遣る瀬無いことであった。

家の中でも、毎日毎日が公演に纏わる問題の話で、公演練習が始まる前の前年11月から揉めているので、「そんな状態でこの7月までもつのか?耐えられるのか?」と姉には声をかけた。
やるしかない。
待っている生徒のために「やるしかない」という。
8月、公演が終了し短い夏休みに入り、運営サイドの理不尽な所業に呆れ果てる。
ついに父が「もう家の中でそんなに揉めるなら辞めた方がいい、このままで君たちに良いことは無い。振り回される生徒もかわいそうだ。」
と言い出した。
生徒が好きだから、生徒のために辞めていく。
こんなに理不尽な話は無い。

この三年間、沢山の経験をさせていただいて、二人ともとても成長したんだと思う。今は、はっきりしない霧の中だけれども、彼等には慕ってくれる仲間がいる。私とて、サークルやってるのでわかりますが、来る来る詐欺や行く行く詐欺、やるやる詐欺に泣くこともあるでしょう。
でも、それにも腹をたてることなく、フラットな気持ちでいてほしい。
そして、せっかく掲げた目標に前向きで真っ直ぐ明るく前進してほしい。
まだまだ、試練は続くのかもしれないけれど、得たものは大きかったんだと思おう。
これは限りなく貴重な第一歩である。