描いたり書いたり縫ったり塗ったりしてます。

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造形、衣裳、イラスト、キャラデザなどやります。
コスプレ、舞台、お手伝い致します。
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あのモモンガ五匹は私のキャラです。
サークル用に作りました。
LINEのスタンプもしかり、私のオリジナルです。
が、我が子(大人)が使うと言うのには、逆らえません(笑)
五年近く、某スタジオの公演に出演しました。
喋らないキャラのはずが、喋ってしまった初年度。ウチの子ら、ちゃんと止めたんだろうか?止められなかったんだろうか?マイク持って🎤喋ってた。
歌も歌ってたね。
ただでさえ、空気入ってくるとこ少ないのに、歌うのは息が上がったそうだ。
我が家の受け入れキャパは太平洋のごとく広い(笑)いいよ。やりたかったんだね。仕方ない。

「変身衣装が作りたい。予算は無い。此処に過去の衣装がある、此れでなんとかして!」
お母様方に頼んでほどいてもらい、アイロンをかけ、デザインを考え、お金のかからない方法を考え、安い生地を買いに行き、自分で作ると言う人に小分けし、制作。
子供(大人ですけど)が、携わっているから頑張りますとも、制作費用は出演する子の母持ち、スタジオは殆どお金を払ってない。
お気に入りで、何度も使ってくれてる。
見る度、M…アレ頑張ったねぇと思う。

オープニングをこうしたい!若者のアイデアは無謀である。パト男と映画ドロのコスして踊るという。一人ずつだろうと思いきや、三人ずつだって〜〜?ちょちょちょちょ、費用は?コスだから。だーかーらー費用は? コスだし。
出ない…(・∀・)
でも、子供(大人だよ)が携わっているから、やってあげます。作るの好きだし、楽しいし。
ヘンテコリンな安い被り物で宴会芸にもしたくない、ボール紙とかでこさえられて、お遊戯会にもしたくない。なにせ、ワシ、プロですからな(笑)プライドが許さんのじゃ。
その年は、スリラーもやることになり、ミイラ男に狼男に吸血鬼とこさえるものが後を絶たない(笑)でも、作るの好きだから許す。
子供(大人だって)がやってって言うんだし、この年の公演は彼等が仕切ってる初めての公演なんだから、お母さん頑張っちゃうよ(≧∀≦)

え?金がないから、舞台装置屋さんを呼ばないで経費抑えたい?no,no,no,辞めて、私の子供(大人だけどね)が初めて仕切ってる公演を素灯りとか辞めて、そのパンフもポスターも全部やっつけてあげるから、ほら、払ってた10万浮くんでしょ、それ使って、舞台装置屋さん無しは無しにして、呼んで。
パンフもフライヤーもポスターもやっつけたよ。
チケットは裁断機で切って自作だよ〜
手作りだから、カラーはバラバラにしてみた。
小細工満載、作業は鬼のようにあって、毎週徹夜しても、面白かったよ。やり遂げた感はあった。
終演後の感想も、聞こえてくるのは賛美ばかり、頑張った…ククッ(T-T)。
此処で、燃え尽きちゃダメダメ、次行こう次。
このバイタリティが我が家の自慢だよ。

公演の思い出語ってるみたいになって来ると、思い起こすのは、早替え。他所の舞台ではやらないねぇ、みたことないね、歌舞伎とかならやるけどね。糸抜いてサッとその場で早替え。あれは、何十年も培ってきた経験と技術のなせる技だからね。それをトーシローに無茶ぶりでさせるんだよね。でも、お母さん方だって、出来ないって言わせない。母という変なプライドが頭をもたげ、結託する。一人に五人くらいついて、剥がして着せる。出来た時の歓声!おいおい本番中だよ(笑)達成感はひとしお。
黒い服、黒いエプロンに懐中電灯や靴べら、曲順表、ヘアピンに安ピン、ハサミを仕込んで、まるで黒いドラエモン。
裏方引退して、何年だろう…。
大人だからねウチの子供^_^
異様な早替えも最近は無くなったからね。
でも、燃えたね。あれは(笑)

結局、楽しければいいの^_^
そこが大事だよ。
上下関係や過去や、そんな類のくだらないものにこだわると、面白いことを逃してしまうよ。
9月になりました。8月は怒涛の一ヶ月でした。
ちょっと、心理分析をしてみたいです。
先月、究極に生活に変化のあった我が子(と言っても大人ですけども)二人が何故こうなってしまったかを覚書としても書き連ねておこうと思う。

姉の方は、高校の美術学科を出て何故か音楽の専門学校へ行き、ちょっと自分の求めている世界とは違うと中退してから、特にやりたい事も見つからず、流されるままにバイトをし、求められるがままに、とあるダンス教室の先生をしてきた。
彼女の出来るのはタップダンスと演劇。「出来る」というより「好き」が正しいと思う。
姉御肌の彼女は、口は悪いが面倒見はいい。決して褒めて伸ばすタイプでは無いが、困っていればとことん付き合ってくれる。
そんな、性格はサバサバしてるととらえられ、女のネチネチさも無いので、案外子供たちに受け入れられていたようだ。
やらなくてもいいのに、揉め事の間に立ち、出来ないと嘆く人の仕事を引き受け、抱え込んだ。
子供の頃から泣くのは嫌いで、困ったことがあると口をへの字に曲げ うつ向いて絶対に喋らない。バスの運転手には怒鳴られたし、高校では「何だ!その顔は!」と殴り飛ばされた。
頑固だけど人情家というところだろうか…
そこを無意識に利用されると、何でもかんでも押し付けられてしまう。
舞台仕切りから端仕事まで やれと言われたことはやるので、「あらまぁ便利」となり、「来年は全部やってよ」とまで言われていた。
今年6月ごろのことである。

さて、弟の方はと言えば、プライベートな諸事情で、ダンス若しくは表現者として、生活の糧を得るしかないので、高校から芸能コースの専門学校に通っていた。
文章を文字で綴るのが苦手だが、目で見たものや耳で聞いたものをすぐ覚えるので、口頭で試験が受けられたら良かったのにと今でも思うことがある。
ダンス歴は3歳から、とにかくジッとしていられない子供。4歳のある日、鉄棒から逆さに落ちたのに、手をついて転がらずに ちゃんと立った。
こいつ…動きに秩序を持たせたら、ただの暴れん坊にならないんじゃないか?と毎日何処かへ練習に連れて行った。一人で通えるようになるまで12歳まで、ほとんど毎日送迎。
でも、そのおかげなのか、動きがルールにのっとっているので、人が観ていても心地よいものになっていった。親バカかもしれないけど、上着裁きは低学年から際立ってたと思う。
何かのコンクールに出て、些細な賞でももらっていれば、苦労も無かったんだろうが、全く一切コンクールには出たことがなく、彼の一体何処が素晴らしいのかは全く未知であり、オマケに控え目控え目で表に出たがらないので、技量も一緒に演った人にしかわからない。
高校が専門学校だったので、振り付けをするチャンスは何度もあったのに、彼には結局来ず、煮え切らないままに卒業した。
僕にして〜僕にして〜!と言える人が選ばれるものである。
そんな彼に、一曲やってみるか?と声が掛かったのが五年前。一曲でチヤホヤされても次がなければな!と、揶揄した先輩が突然居なくなり、三年前には十曲近くになった。

そう、この三年は、そういう意味では二人にとって試練の三年間だったとも言える。新しいことにチャレンジし、アイデアを出し合い、大きな舞台を作り上げていくのは、産みの苦しみを経てもさぞや楽しかったことだろう。
四年生の時に男の子だけのステージを組んでくれたことがある。その時のお疲れ様会で彼が述べた感想は、「いつまでもこの仲間と踊りたい。」
三年前に偶然にも出来た木曜の夜クラスは、各ジャンルで活躍する懐かしい友が集い、お互いを高め合う、素晴らしい場になった。面白いし、可笑しいし、ダメなとこも良いところもはっきり言い合って、ハチャメチャだけど、真夜中に仕事終わりに顔を出す人も居て、本当に楽しそうだった。
「いつまでもこの仲間と踊りたい。」
彼の願いが叶った場所だった。

でも、それはあえなく三年目にして打ち砕かれた。「そこ」が自分達の持ち物ではないのだから仕方のないことではある。採算度外視してた、と言われれば、そうなのかもしれない。
でも、真夜中から振り写しをしてあげたりしたのも、覚えてないところの練習に付き合ってあげたり、朝になってから帰ったりしたのも、どれもこれも、たった1日の舞台公演のためだった。
その、週に一回の真夜中までやる練習の光熱費が、会社が傾くほどの費用だったのだろうか?
むしろ、皆の心理状態や生活環境を鑑みれば、別仕事もしながらの練習に、真夜中のレッスンは必要不可欠だったと思える。

なんにしても、運営サイドが、そのクラスを仕分けしてしまい、しかもそれが全員での協議ではなく、数名との対談による決定の伝達であったのは、遣る瀬無いことであった。

家の中でも、毎日毎日が公演に纏わる問題の話で、公演練習が始まる前の前年11月から揉めているので、「そんな状態でこの7月までもつのか?耐えられるのか?」と姉には声をかけた。
やるしかない。
待っている生徒のために「やるしかない」という。
8月、公演が終了し短い夏休みに入り、運営サイドの理不尽な所業に呆れ果てる。
ついに父が「もう家の中でそんなに揉めるなら辞めた方がいい、このままで君たちに良いことは無い。振り回される生徒もかわいそうだ。」
と言い出した。
生徒が好きだから、生徒のために辞めていく。
こんなに理不尽な話は無い。

この三年間、沢山の経験をさせていただいて、二人ともとても成長したんだと思う。今は、はっきりしない霧の中だけれども、彼等には慕ってくれる仲間がいる。私とて、サークルやってるのでわかりますが、来る来る詐欺や行く行く詐欺、やるやる詐欺に泣くこともあるでしょう。
でも、それにも腹をたてることなく、フラットな気持ちでいてほしい。
そして、せっかく掲げた目標に前向きで真っ直ぐ明るく前進してほしい。
まだまだ、試練は続くのかもしれないけれど、得たものは大きかったんだと思おう。
これは限りなく貴重な第一歩である。