悟りたい、生き活きと人生をおくりたい。

・・という若者が住み込み、

研修生希望の申込みがあった。

 

即ち“氣道”研鑚を徹底的に行いたいという事。

先の日記の辿りでいえば、

印可証明以前の得度式となろうか。

 

自分のことを考えても、

その斬髪式は記憶に残る。

 

まぁ認めればの事であるが、

認めた時に問われるのは師の力量。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

野口晴哉師の一番弟子である順平師匠から

こう言われた。

「淨潤さん

 弟子を持つということはね・・」

 

私という淨潤個人は、

その言葉を頂いたこと軽んじていた。

 

いつも真剣に生きよう、生きたし、

そしてそのように努めてはいたが、

真に下座にも至れない自己(淨潤個人)がいる。

 

私が師で良いのであろうか。

それでも求められた時には・・

 

数分前に書いた日記の逆である。

 

皆さんならどうするか。

 

今。

 

 

ともあれ、

あり得ない法縁であった。