明日から滝行である。
今年からは私が開滝式をした(昨年のブログをご参照ください)
洒水の滝にも私たちなら入れる。
それよりも、先日まで書いていた【氣道の学校】の参加者の方々が、
その後どのように旅立たれたか、
気になっている方もいらっしゃると思うので一言をば。
Mさん。
ほんとうによく頑張った。
自身にあった思考(観念)に気づき、
気が狂うような一日もあったそうだが、
そこが山場。
その山場をひたむきな努力で乗り切り、
ついに真空というほんとうの私への扉を開いた。
実に見事だった。
その細かくかつ深い徹底した集中愉氣により、
短期間しかも一回目で実現された。
Dさんは未だ開悟までは至らなかったが、
一週間の内観法研修あとの【氣道の学校】。
それらの期間で得た種は今後の人生で段々と芽生えていく事だろう。
それには水やりを。
即ち道を歩むという事。
酒に踊りに食事に溺れ楽しむばかりでなく、
この期間で得た種を真摯に育んで頂きたい。
まずは腰椎5番(腰)と股関節を緩解させよう。
それは自身の努力だけでは難しい。
誰かの整体(指導)か個人レッスンを活用されると早い。
すると、立処が拓かれ、種への水が身体からも注がれる。
再受講のRさんとは【空の学校】最終日ドラマがあった。
道場から帰ろうと扉を開けると、
あちらからRさん。
細い小道のど真ん中にて感想を伺う。
そしてそのまま独参~空(ほんとうの私)に誘うための開悟誘導。
それが、あのタイミングでなければ生じなかった。
開悟誘導と書いたが、
それはそったくの機でないと生じない。
Sさんもそうだった。
翌日、誘えたが、
それは開悟というよりはその橋渡しの開眼までの自覚だったかもしれない。
ともあれ、そこで得た真空は確かなもので、
翌日最終日のRさんの姿も安定していた。
そして数日後の今日、湘南道場に向かおうとしたら、
一階の(横浜)道場からRさんの声。
障子を開け、
「空と共にありますか?」
と伺う。
「えーっ?!先生!」
という驚きの声のあとにすぐ続いた。
「はい。今も変わらずあります」
ひたむきな真剣な行は、
必ずや実る。
実らねば、それは師の責任である。
明日からの滝行もその続き。
“氣道”研鑚のための滝行であり、
普通の我慢比べのような修行滝行ではない。
そこで開眼、開悟まで導くには、
一度でも【氣道の学校】(【空の学校】)に参加され研鑚を積んだ人しか難しいが、
そうした方には滝自体が師となり導くであろう。
その導きを得るための役割が先達である。
そして、その先達(滝行を見守り行を援助完成させるための存在)を
育成するための講座が、
「滝行マスターコース」であり、
それが明日から始まる次第。
そして明後日の滝行には、
上記のMさんもいらっしゃる。
さぁて、その後の様子はどうか。
それを、今回の滝行でどこまで深め、
空を安住させられるかどうか。
───それは私たち先達(滝行マスター)の手腕にかかっている。
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さて最後に【氣道の学校】(【空の学校】)にご参加されたその他の方にも触れておこう。
思考モードが芸風のSさん。やった。確かに見た。仏に触れた。戻った。空を味わった。
これからそれを安住させ常にそれと共にいるのだ。
Jさんは実は神官。
今回は思考から離れるためのアイテムを幾つか掴んだ。
まずはそれで良し。空に仏に開悟するのは先で良し。
そして、その快活さと共にあれば、どんなに素晴らしい指導者になることだろうか。
私はゆっくりと待っている。
Eさんはご自身の潜在意識が望む着地点にはいったろう。
けれども私としてはもっと。
【空の学校】は本当の私、空そのものに戻ることを本眼としている。
まずはここ。そしてこれからに期待する。
Tさんは初めて個人レッスンの形で受講された方。
再受講しかもたった一日であるが、
ご自身の安定感を確かめ、そして使えるアイテムも増え持ち帰ったろう。
しかしこれからである。
その、これからは他の受講生とは異なる性質があるため、
今度お会いした時に直接言おう。
妙な表現になるが、なぜ青木先生が期待したかの理由のところが、
未だ安定してしまっているからである。
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整体───それは透明な身心。
愉氣───それは自然(=空)からの運び。
その
「整体プロジェクト」
「愉氣プロジェクト」
こそ“氣道”協会の活動である。
つまり上記を裏返していえば、
自然からの天心の愉氣が出来るような状態。
それを整体と称するが、
それが“氣道”自体の目的であるからこそ。