今日は湘南道場の指導日だった。

つい先日この日記にも書いたように、

快医学の我妻さんと私が同時に整体(指導)を行う日でもあった。

 

母と妹以外に三名の方がいらっしゃった。

最初に受けられたのは母。

その後、母からいつものように、

「せっかくいらっしゃった方々に食事を出さなくては。

 せめてお菓子でも・・」

と言われる。

「みんな召し上がらないんだよ」

と伝えると母はなぜか庭に出る。

 

「お母さまどうしてお庭に出られたのでしょうね?」

と皆さんが仰る。

気をつけて見ていると、

母は庭の花を摘んでいる。

 

11時にいらっしゃってからずっと指導に向かう我妻さん。

そして後半はその後ろで私も行わせて頂いた。

我妻さんの健康指導を終えたあとに受けられた方も二名。

 

透明な空間に温かい氣の風が吹いたあと、

我妻さんも湘南温泉(源泉掛け流し)に入られ、

直会となった。

 

途中ヘルパーさんもいらっしゃり、

歓談が進む中、

我妻さんの姿が無い。

 

ふと庭を見るとそこで大の字で臥禅を行っている我妻さん。

きっと、

先ほど整体(指導)を受けられた方全員に、

「本当はこのあと少し横になって頂きたいのですが、

 そんな場所もないので、

 もし良かったら、庭の芝生の上で休んでもいいですよ」

とお伝えし、

皆さんその通りにしていた姿をご覧になっていたからなのでしょう。

 

見ていると我妻さんの体が少しずつ動き始める。

自由操体、氣道でいう内感運動だ。

 

10分位たったあとは、

我妻さんの動かしづらい腰椎1、2番の動きまで出始めた。

“自由操体、内感運動は祈りだ”

・・と実感し、何度となくお伝えしているが、

その姿を他人でも見たのはスタッフや協会の会員の方以外に見たのは初めてであった。

 

どなたかが撮影していた。

終えられるあたりに、思わず私も参加したくなった。

二人内感運動、二人自由操体となった。

 

その時の感覚は、

滝行合宿で舞踏の大野一雄の一番弟子である芝さんと、

洒水の滝中で行った時の感覚と似ていた。

いや、我妻さんの自由操体(内感運動)自体が、

芝さんが行う舞踏と似ていた。

 

思えば我妻さんは土方巽さんの弟子であった。

大野一雄と土方巽の舞踏の相違点は知らないが、

私としては共通項を感じた。

そしてその共通項は、

操体法だけでなく内感運動だけでなく、

自動運動(活元運動)、瞑想、臥禅でもあった。

それらが自然の運びによって現れていた。

そういう場所と時間であった。

 

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「いやぁ、こんな所はないよ。

 いやぁ、気持ちがいい」

小一時間の演舞、臥禅~自由操体(内感運動)のあと、

そう我妻さんが仰る。

「ぜひ、秋にここで自由操体の企画をしたい。

 いや、スケジュール的には来年か・・

 その時には淨潤さんが氣道入門的な講座も・・」

と続けられる。

「企画早めに待っていますね」

と庭で答えた私。

果たして来年どうなるのか?

我妻さん曰く5月がスケジュール的にも季節的にも良いのでは、とのこと。

(ちなみに上記の自由操体その他は撮影者もいらっしゃりSNSでもアップされるとのこと)

 

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すべてが自然(=タオ)によって運ばれている。

「今日はご実家に帰りなさい」

そう昭子夫人に言った翌日、

昭子夫人の父(近衛文麿)は自刃された。

遺筆は「天行健」であった。

その書を見て、

天という自然の働きが恙なく運ばれていることを知っておられた方だと感じた。

 

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思い出すのは、これもつい先日この日記で書いた中川一政の画。

父の絵で好きだったのは、皆さんの後ろにあったあの一枚だけだったなぁ。

皆さんが帰られる。

「お母さん、お渡しするものは?」

その後、ヘルパーさんのお蔭でここに向かっている。

小津(安次郎)ではないが、

余韻のみ残る。

皆の。全ての。

晩秋だったか、あんなに従順に従っていた笠知衆が

たった唯一、小津監督の指示に反対した撮られた最後のシーンを思い出す。

皆さんを送ったあとに見た残された花束の数々。

 

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