に行く。
30年ぶり近くであったが、得た感覚は全く異なっていた。
生きていた。
NHKで放映された氏の特集も観た。
ひまわりを描く姿に引き込まれた。
棟方志功と酷似してところに。
氏のアトリエには野口晴哉師の書斎と同じ氣があった。
思えばそこに初めて行き、晴哉先生の椅子に坐ったあと、
数時間後、岡島瑞徳師と約束の池ノ上の居酒屋に行き、
独立のことを申し上げたのであった。
(この経緯そしてそこでの会話は様々なところで語っているので割愛)
今回は晴哉先生の書斎ではなく中川一政氏の作品そしてアトリエであった。
晴哉先生が最晩年、氏との対談後、
「初めて人間に出会った」
と仰っていた意味が分った。
そして氏の「われは木偶なり。つかわれて踊るなり」
という言葉の真意に数十年越しに共感した。
上記した野口晴哉師~岡島瑞徳師の話を含め、
様々なシンクロ、相似象の現れに驚き、
拙著「氣道─長谷川淨潤の世界」の中にもあるあの
「私たちはいつもあの輝かしい未来に戻っている」という一節が思い浮かぶと共に、
真鶴駅への帰り道、次の言葉がふと浮かび久しぶりに日記に書こうと思った。
(次の日記で呟かせて頂く)