そして元気とは、
元の“氣”に戻ることでもある。
元の“氣”とは、
元々の自分、元々の私のこと。
だから、
元気は健康と同じことを指し示す言葉だけど、
元気という表現には、
深い、真実の意味がある。
元々のわたし(自分)は、
青空のような存在である。
それを、実感し、
そして雲としての自我も生き生きとしていこう、
というのが“氣道”である。
反対に、雲としての自我を生き生きとさせていこうとすると、
青空から吹く風と一つになれる。
「溌剌と生くる者にのみ深き眠りがある」。
それを伝えているのが“氣道”協会であり、
具体的にいえば、
年に三回行っている【氣道の学校】
で、体感(というか、それそのものになるのであるので体感を越えるのであるが・・)
を通して研鑚していく。
いうなれば禅。
しかし、違うところは二つ位ある。
一つは、体からのアプローチを用いて導入していること。
いうなればヨーガ。
もう一つは、座禅だけをするのではなく、
座禅が、炙り出しの如くに浮き彫りにさせていくということ。
夢や願いに捉えていては叶わない。
体に捉えていては健康も実現しにくい。
悟りに捉えていては悟りにくい。
そうした逆説的なことを上手く活用した。
否、そうしたアプローチが、
どんな体癖の方であっても有効であるということを喝破した人たちがいる。
晴哉先生然り。
ニサルガダッタ・マハラジ然り。
しかし実は臨済こそそうであった事に多くの者は気づかず、
ただ座禅させる。
本を読むのもそうだが、
文字を見れば、その時の脳、意識には残ろう。
そして満足する。
私たちが行っている速読法の中等では、
行間に愉氣つまり気持ちを向けることを練習する。
求めないことによって、
求めていたことが得られる。
いうなれば道教。
そして、前者と合わせたものが氣道。
それを伝える本丸の講座(“氣道”流接心)は、
4月29日より始まる。
“氣道”にご興味ある方はぜひご参加ください。
・少人数しか承れないため、
早めのエントリーをお薦めします。
・5月から【整体の学校】の講座などもありますが、
今年から【氣道の学校】卒業生のみ承っておりますので、
ぜひお薦めします。
(本当の私を知らないと(つまり自分が整体の状態を知らないと)
他者に整体指導(援助)も出来ないと感じたためです)
何より大切なのが、
“氣道”だと思う。
(つまり、ほんとうの私(青空)に戻り、
しかも、この体や心を、自由に自在に使い、生き生きと生きていくということ)
それよりも大切なことは無いと思う。
健康よりも大切なことがあるか?
健康は元気。
元気よりも大切なものがあるのだろうか?
恩師パラマハンサ・ヨガナンダジがが仰るように、
まずはそこからである。
そして師はいみじくもこう言う。
「現実世界(相対世界)で成功しないものは、
天国にはいけません」
悟ったからなんぼでは無い。
現実生活で成功まで・・
それを聖者が語る。
それこそ“氣道”の在り方である。
それを晴哉師は別の視座からいう。
「生ききった者にのみ安らかな死がある」
一昨日は埼玉支部「ゆら」で愉しいひとときを過ごした。
そのひとときでお伝えしたこと。
それはこれである。
そして、私はいつもこれしか伝えていない。