昨日の日記同様であるが、

数分前に、今日(11/23“氣道”の誕生日)行った

「青空禅」講座の講座後の感想文を晶ちゃんに送った。

 

(会員の方々には以下の文章も入ったチラシが届くと思うが、

 当日の感想ということでいち早くここに掲げた次第。

 なおチラシでは下の文章を若干校正してあるかもれない)

 

 

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静かな池に石をポーンと投げる。

石は池に落ち、そして水面には波紋が広がる。

 

その広がり方は池の状態によって異なる。

静かな池だと、そのままに。

 

“氣道”を直球で伝える【氣道の学校】では、

その静かな状態に導いていくための珠玉のmethodをお伝えしている。

 

 そう思っているが、頭でっかちの方の、感情でっかちの方、肉体でっかちの池もあろう。

 特に現代人は女性であっても腰椎一番過敏(=頭でっかち)の方が多いが、

 そうした現代人特有の池の方にとっては、相応しい切り口の“青空禅”紹介だったと感じた。

 (同時に私が【氣道の学校】で“青空禅”を伝えているのは、そこ(思考への捉われ)を蔑ろにしている面もあるかとも思った)

 講座でも申し上げたように、そしてまた私自身が「速読法」その他を含めて行っているように、

 個々様々な池(=“雲”)に対して“青空”に向かうようなアプローチが必要だろう。

 (既に【氣道の学校】卒業生の方もご参加の方されていたが、

 上記したように、L1(腰椎1番)を通しての納得もあったに違いない)

 

その意味でも今回の講座は貴重だった。

 (とても私のような感覚ベースの阿呆では語れないことばかりであった)

 

講座中にも申し上げたように

  「【氣道の学校】に参加されていない方はその準備として、

    そしてまた【氣道の学校】卒業生にとっては確認のため」

 に活用して頂きたい。

(  そしてみっちゃん先生の行う青空禅への橋渡しとしても)

 

 

池に心合わせて投げると、

その池、その石は動き、本来の風に沿う。

 

それが整体指導であり、演奏であり、その自然の息(青空からの風)に沿った時、

 

美が生まれ、雲に戻った時に美を感ずる。

 

 (みっちゃん先生は、一石によって起こった波紋が同心円としか捉えなくとも、

  その向うにはそのリアルな投げ方までもが反映されている世界にいるという。

  だからこそ、私たちは投げる。

  だからこそ生きている。

  このホログラムを作っている“氣”という0次元∞次元によって。)

 

                       (長谷川淨潤。

                        最後の数行は人によってはみっちゃん先生の「青空禅」本に一番近い本と書いた「“氣道”本(写真集)」同様

                        分かりにくい方もいらっしゃっるかもしれませんが、

                        みっちゃん先生の青空禅か【氣道の学校】にご参加すれば全て凡て分ります)