横浜道場に戻ったところ。
無事、開滝式が終えた。
●昨日
思ったより早くにピアノ調律が終え、
(なんとエアジンやドルフィーのピアノも調律されているのだそうで、
「ということは毎月斎藤さん(サウンド・ウェーブ主宰)が調律された
ピアノを弾いていたということですね!」
と御礼申し上げた次第)
約束の午後3時より前に文覚荘に到着。
その後、青木宏之先生たちが到着。
「ワカメ体操」が自動運動の誘導にそのままなる、
───ということをウィウソンさんをモデルに実演し、
青木先生に観てもらった。(文覚荘の玄関前にて)
そのまま滝に。
滝への挨拶。
(諸種の神事も必要と感じ行う。
例により、“氣道”滝行の一大特徴である『結界外し』その他により、
本来の洒水の滝、滝場に戻す。
その上、今後、様々な方が再びここで滝行を行わせて頂くことのご許可を頂き、
洒水の滝にとって最も相応しい“氣”を愉氣(気合)させて頂く)
そして、ロッククライミング。
(守り本尊ではないが、洒水の滝をお守りする援助として、
私に浮かんだ物(それは丸い水晶と鏡であった)を設置させて頂いた。
丸い水晶玉はネットで探してもらったが相応しいものは見つからず…
諦めていたら、何と実家にぴったりのものがあったので、
それを拝借させて頂いた。
皆に見せたところ、
「一千万円以上はするんじゃ?」と言われたが、
今ネットで調べたら、10㎝以上となると200万円以上するし、
台座自体が60㎝四方の凝った台座だったので、
ほんとうにそうなのかもしれない。
(お父さんごめんなさい。台座だけ残ってしまいました…汗)
鏡は千円位のものだろうが私が横浜道場で愛用していたもの)
ロッククライミングと書いたのは、
設置する場所に行くために、文字通りロッククライミングとなったから。
もともと、設置するなら滝のちょうど真裏の上部とイメージしていた。
ご存じの方も多いと思うが、
滝の本尊というか、本当の滝は滝裏にある。
そこは亜幽界との出入り口であり、
霊視すると、そこに洞窟というか通り道がある。
(宮ちゃんから昨年(2021年)夕日の滝あと、
「先生、実は滝の裏にトンネルというか…が見えて」
と質問された時に、実はそれは…と答えた)
その通り道を邪魔しないように、
その上に設置したかった。
そのためには、滝の水しぶきの中、岸壁をよじ登るしかなく、
しかも、半永久的に設置できそうな場所はかなり上。
とはいっても2m位なのだが、ロッククライミング経験がない私にとっては、
かなりの決断と覚悟がいった。
数秒後、「まぁ、落ちても頭蓋骨骨折くらいだろう」
ピッタリの場所まで数分かけてよじ登り設置できた。
案じていた下りる時も不思議と導かれた。
(ちなみにロッククライミングって、下りるロッククライミングもあるのかしらん?)
通常の滝行だと、
結界外しのあと(これは“氣道”で何より大切にしているのだが“氣道”独特の作法)、
結界を張り、その後は入滝者を誘導しいざ滝行となるのだが、
今回は、ここまでのためにこそ来たのであった。
「ここまでのためにこそ来た」と書いたが、
滝行も行った。
しかし、それは通常の滝行ではなく、
そして滝行マスターコースで常々言っている(その後、青木先生にもプリントとDVDをお渡しした)
『滝のために入る』
以上に、
人柱、というと大げさだが、
開滝式のための滝行なのだ。
私たちが入滝することによって、私たちがその思いで入ることによって、
滝に身を捧げることによって、
今回の開滝式は完成する、と思っていた。
そのため、入滝の仕方も、その前からの流れも、そして滝行後の作法も、
通常の滝行とは全く違った行い方であった。
ともあれ、こうして洒水の滝の開滝式は恙なく行われた。
その後、宿に戻り、入浴~直会。
直会時には、楽しい歓談と共に、
青木先生から厳しくも有難い教授を頂いた。
(何と青木先生と吉田先生は私たちを展望台のほうから見守っていた。
先達の先達である)
“氣道”滝行は青木先生が創られた「自由滝行」を継承する
滝行の真髄であると思っている。
その伝承役である私も数十年の経験によって、
さらにシンプルにさらに結晶化させたつもりであったし、
そしてまた仰られたことは、それこそ最も大切にしていることであったため、
実に耳が痛かった。
(しかし、上記したように、今回の滝行は通常とは全く異なる文脈での滝行であり、
そしてまた先生は前半のところがご覧になれていないから…
という言い訳もしたかったが)
そんな言い訳よりも、やはり大切なこと、
特に今後ほんとうに大切なこととして心に響いた。誓った。
何とありがたいことだろう。
いまだ先生は肉体を持って生きていらっしゃり、
このようにご教授して下さる。
そしてまた、そうした教授を得られる、私をして指導して下さる、
師がいる、という喜び。
ほんとうに先生には感謝にたえない。
ところが(ところが、ではないのだが…)、
その後、宴も進み、ほんとうに楽しく…
(青木先生がお持ち下さった日本酒があまりに美味しく、
(中沢酒造。松みどりの純米吟醸で火入れ。琴姫はまぁまぁ。)
数十年ぶりに日本酒を数合飲んだ。
女将さんも宴に加わり、青木先生との歓談も朗らかで美しく…
ふと時計を見ると12時前。
何と5時間以上の直会。
私たちの滝行を監督するため260段の階段を登ったあとの86歳の方の体力では無い。
「あとはお若い二人で…」
と言い残し、先に自室に戻った。
部屋の名称は洒水の滝。
●今日
5時間ほど眠れ、その後、本日も入滝したいというウィウソンさんたちのための滝行準備。
今日からが新生「洒水の滝」の入滝である。
そして、私たちが初めての入滝者である。
だから、昨日の滝行とは全く意味が違う。
昨日の滝行は、
今後の入滝者のための開滝式の締めくくりとしての身を捧げた滝行であったが、
今日の滝行は、
開滝式を終えたあと、初めての新たな滝行である。
昨日の青木先生からの教授ももちろん噛みしめ、
広間での準備(そこでは座禅同様、滝行とは人間やめることだ、という意味など、
一昨日(9/11?)“氣道”入門に書いたことなどを短く語り)
のあと滝に向かう。
自ずと訪れる霊場に向かう身心の変化と共に、
禊ぎ禊がれ、
滝への数度に渡る挨拶のあと、
実際の滝場を見ると…
そこは永光であった。
命の輝き、温かさ、真心、愛に溢れた“氣”に満ちていた。
視覚的にも、いつもにはない素晴らしい虹が滝にかかっていた。
時折り洒水の滝には虹がかかることもあったが、
初めて洒水の滝に入滝してから35年間、
今だかつていない美しく大きな虹だった。
そしてそれは、滝行後までかかり、
滝壺に向かう時までも、つまり滝中にもかかっていた。
まるで昨日のことを祝福してくれていれるような感もあったが、
その思いが烏滸がましいというよりも、
そうして祝福してくれること自体も含めて、
何よりが有難かった。
今日からが洒水の滝の初めての滝行である。
先達として入滝の準備を行い、
全員入滝。そして最後に入った私自身も滝に身を捧げるつもりで入った。
以前にユーチューブに滝行風景をアップしたが(今もあるのかしら)*リンクを貼りました。by永井
そこでは「生きながら死ぬ。否、死も殺す」(つまり人間やめると同義)
と書いたと思うが、
そうした思いも殺した。
その後、感謝だけが訪れた。
最後、滝に、そして滝の源流に向かって、
滝の源に合掌させて戴いた。
今も合掌である。
その源は、すべての源、つまりほんとうの私にも通ずるのであろう。
入滝後、全員が暫く滝に向かう感謝の気持ち一つになり、
合掌と御礼、
そしてそれは、その後の帰り道でも繰り返された。
そのうち、ウィウソンさんの奥様が感涙する。
その言葉は、正しくはないのだが、
「私、私として生きていていいんだ。そのことが…」
など、数々の言葉を仰り、
すべてに共感し、またも合掌するしかなかった。
文覚荘に着くと吉田先生の携帯に電話が…
「そろそろ滝行かい?」
…という今起きたという○○先生からのお電話であった。
その後も、○○先生が聞かせてくれた民謡のことなど、
楽しくも学びになったことや、
宿につき真っ先にヴォイスレコーダーに向かい録音したメッセージ(これは後日紹介したい)
のことなどがあったが、
(そうそう、文覚上人の伝記をその時、初めて読んだ事も偶然では無かったのだろう)
ともかく
私たちの共鳴する潛在意識そしてタオ(=“氣”)の運びによって、
今回の“開滝式“、”入滝式”は、
こうして恙なくそして祝福と共に終えたのであった。
今後、「洒水の滝」は安全に、そして祝福と共に入滝することが出来ると思っています。
(先程小一時間位前、これを書いている途中で今野さんに言ったのですが、
「私… 公衆電話をただでかける方法を発明した時と同じように、
私が生きていた価値があった、と本当に思ったよ」
だったのでした。今回は皆さんにも貢献できるのがうれしいです)
※補記 「滝行を行う方へ」
今後「洒水の滝」に限らず、
初めて滝行をされる方は、私たちがお渡ししている
「滝行CD」
をお聞きになってから入滝して下さるよう切に望みます。
(実はベテランの滝行者にこそです。
初めて滝行を行ってから40年間経ちますが、
青木先生がなさっていた「真の滝行」を行っていらっしゃる方はご先達含め、
残念ながらいらっしゃらなかったので。
あくまで個人的な体験ですが)
真の滝行を行いたい方のため補記させて戴きました。
*ここで書かれているCDは、通常、滝行合宿参加者のかたにのみ配布していますが、
もしご希望の方は、まずは指導スタッフへお声掛けいただけましたら幸いです。by永井