(この記事はスタッフ永井が投稿しています)

 

今月に入り、8月の講座チラシ作成を始めております。

そのうち、8月6日に東京道場で開催予定の【遺書講座】の原稿が長谷川先生から届きましたので

いち早く、みなさまにご紹介いたしますね。

 

※今後、講座内容に変更がある場合もございますので、ご了承ください。

※サイトへのアップや、会員の皆様への講座ちらし郵送、およびお申込受付は、

 6月末の予定です。

 

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遺書講座

ー究極の禊ぎを通して「元」々の「氣」という本当の私に戻り、そして再生しましょうー

 

生きているということは散らかるという事です。

日航空事故に遭遇した乗客の多くは

その前に部屋や家の掃除をしていたそうです。

 

誰もが高潮期は肌着が汚れやすくなり、

低潮になると心も体も平穏になります。

 

内の現れとして外も然り。

 

「倉という言葉は先生の為にこそあった」とは生前の野口先生を伝える昭子夫人の感想ですが、

しかし道場の内は無駄の無い1mmの狂いもない整然さと静謐な氣を醸していた。

 

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そしてその野口先生の遺書には、今まで伝えた事凡てが遺書である、という事が書かれていた。

 

昨年秋、父が亡くなりその遺書には遺書を書く事の奨めが書かれてありました。

 

「そういえば父は30年程前から毎年遺書を更新していると言っていたなぁ」

そしてそれもあって【心の学校】では“出来たら遺書を書きましょう”という課題を出し続けてきたことを思い出しました。

 

内を変える援助として外を用いる。

 

【健康法のエッセンス】ウン・コ・ヨク・シ・ヨウの「様(ヨウ)」ですが、どちらも内である。

 

体力の無い人はごく軽い風邪でも逝きます。

 

生くる力のある者はそこでデトックスされリフレッシュして新たな体をもって再生します。

 

【心の学校】の課題にしているのはその為です。

 

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しかしそれには書き方のコツがあるのです。

 

「生きながら死ぬ」とは瞑想ですが、

すると本当の私である大いなる命が浮かび上がってくる。

 

その為には完全に死に切らなくてはならない。

 

すると“元気”に戻り、生き直せる。

 

この講座では、そのコツをお伝えすると共に、

その具現化である“氣道”流エンディングノートを用いて実習していきます。

 

生き生きと生きたい凡ての方に捧げます(長谷川淨潤)

 

※なおこの講座は翌週から行われる“氣道の学校”

 の一貫として今回行いますので同学校受講生は

 出来るだけご参加下さい。(通し参加の方は、再受講生含め無料)