皆さま、滝行お疲れさまでした。
素晴らしかったですね。
長谷川先生がメインで先達をなさる最後かもしれません。お見逃しなく。by nagai
滝の中で、気合も祝詞もあげなてはいけない、
という或る意味不思議な氣道の一貫とする瞑想滝行。
そしてそれは青木宏之先生が唱える自由滝行の原点
というか片方の翼でもあろう。
それ故、二日目の今日は、
体を動かしたくなったらそれでもOK、
声を出したくなったらそれでもOK、
と自分の内側からの動きを大切にしてOK、とお伝えした。
ただ滝に入る。
ただ座る。
ただ歩く。
その上で、祝詞や読経、
あるいはポカンとしようとかオープンという言葉が浮かんだならOK。
ただ生きるということはどういうことなのか?
今日言ったように、
滝行に祝詞も読経も、
そして先達であっても錫杖も数珠も要らなくなったらどういうことになるのか?
否、そうしていく方向性としての滝行から、
今後どのように生きられるのであろうか。
「この感覚が残るように」
と何人もの方が仰っていた。
先達として有難い言葉であるが、
この感覚はその前の準備からあった。
否、いつもあった。
否、いつもある。
今、これを読んでいる今も。。
野口晴哉師は、
生きることの目的をあのように、
かのように喝破した。
そう。
それが私をして前述した
ただ生きるという造語である。