久しぶりに、ここに向かいます。
思い出すのは、
この一カ月間で、
「あぁ、このことは日記でお伝えしたい」
と思ったこと。
それは、
「今日から骨盤が動き出しています。今日か明日これを行うといい」とか、
「色々な外的な変動が押し寄せてくる体になっています。その対処は…」とか、
「今日は骨盤の動きが一つ変わり、明日以降これを行うといいです!」
とかとか。。
不思議なことに、
そうした季節の変動に合わせて、
手当てをすることによって体(潛在意識)は変わる。
というか、
そういう処に手当て(単に手を当てるという意味でなく)
をしたくなるようになっている。
整体操法の調律点もそうだし、
技術もすべてそうだけど、
そのように自ずとしたくなる処や技術になっている。
理論や型は、
即興から生まれた。
即興とは、いのちの運びの発露の純な流れであり、
それを生という。
ただ、
季節ある日本に済む人の今は、
潜在的にこうした要求がありますよ、
ということをお伝えしているだけ。
その中で、違う音を選ぶ人もいるだろう。
違う行動や思いを選ぶ人もいるだろう。
というか、それがかえって生かされる。
型とか知識とかがあるなら、
そうした個々の要求が純に発露するようになったらいい。
そして、もっと大切なことは、
そうしたいのちの働きが発露され、
生が十全と輝くとき、
ある種の感覚があるということ。
自分がしたいだけではなく、
自分がさせられているというな、
何かの流れに導かれているような。
純に独楽が回っているとき、
そこには静止がある。