何故かその題名で書きたくなった。

 

その後、

いやいや、今日あった楽しいこと、

あるいは、新型コロナウィルス肺炎のことについて

(これはすでにユーチューブでアップしているが、その再紹介)

も書くか、と思ったが、

いざ、ここに向かったら、

また遺言という件名を書きたくなった。

 

すでに遺言は書いている。

一つは、氣道本(長谷川淨潤の世界)

後書きにも、現時点での遺言である、と書いたが、

それは今も全くブレていない。

 

もう一つは、気功協会での連載。

これは父の立場から息子へという言葉であるが、

ここにも、遺言と銘記したと「思う」。

 

今思うに、その二つ以外には無いのだろうが、

あ、あとは、

ゆん君(佐野裕子)に「私が死んだら、とにかくコンピューターを破棄すること」

と6年ほど前に言った。

(どんなに私がエッチサイトを見ているかがバレてはいかん)  ←そんな元気あるんかい。  ←元気あるよー。 ←口ではね。

と思ったからである。

 

その後よく考えるのであるが、

今ではコンピューターを破棄は、まぁ実行してほしいけど、

本人はあまりとらわれなくなった。

それはなぜか、

厚木王将という将棋道場の席手が変わってしまってしまったからという感覚による。

(うまく伝えられないのですが)

 

そうですね。

ここで遺言は無いなぁ。  ←おいおい、お前がふったんやで。

 

今、思い出すに、

今日、研修会に出席された○さんから、こんな質問を受けた。

「先生は、人が死ぬということは、その人が望んでいるから。

 そして、その時期も、と仰っていたように思うのですが、

 △さんは、生きよう生きようと思っていたのに死んでしまった、

 それはどういうことなのでしょうか?」

と。

私の答は、皆さんもお分かりの通り、

・その人の潛在意識(深層意識)が望んでいたことであって、

 意識で生きよう、と思ったこととは別

とお伝えし、

私自身のエピソードも話してしまった。

 

「私の父は、『娘の結婚式までは生きたい』と言っているのです。

 何とかお願いできませんか?」

 

一度お断りをしたのですが、

その情熱に負け、私は引き受けたのであった。

 

このあとの話は、

その方、そして○さんにも今日お伝えしていないことになるので、

楽しみにということなのだが。

 

ともかく、人の死ぬ時というのは、

新型コロナウィルス肺炎のため、

とか、○○のためではない。

 

そんなのは理屈で、

後付け(実は後付けなのである)であって、

私たちの視点はそうではない。

生命力自体を観る。

 

死ぬ人は死ぬ。

 

そして、

その生命力を低下することに、

心のことが最も大切だと言い、

今日のユーチューブ撮影(アップしました!by nagai)そして研修会という流れになったのであった。

 

長文になったが、

ここまで書いて何も「新しい」遺言は書けていない。

 

決してマークトゥインの有名な言葉にあやかるわけではないが、

(それだったら、またこの日記で遺言を書かなくてはになってしまう故)

次の【心の学校】(=氣道の学校=幸せの学校)

こそ私の遺言だと言っておこう。

(ぜひいらっしゃってください。必ずやその意味は分かるでしょう

 

しかし、それよりも、

皆さんはいかがですか?

 

今から明日から、

自分の発する言葉が遺言になるよう。