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4月2日、前夜。

明日は、本来であれば、

2011年の春季大祭 神楽のお祭りでした。

正確には、

4月1日 宵神楽

4月2日 本神楽

4月3日 神納

4月4日 地区神納


と連日続きます。


メインは、明日。

僕は、16座の種目の中でも、

特に人気の高い演目を踊る予定でした。

幸福(紅白)のお餅と狐のしっぽを、

神楽殿から投げる予定でした。

$苦手な田舎暮らしスタート! with My Family-笹川の神楽

しかし、このたびの東日本大震災の影響で中止となりました。

影響とは、

まず、私達地域も大きく被災し、被災地であること。
その復旧の為に、市役所、役場、消防の方々が多忙。

さらには、工場が津波で壊滅の為に、
他県への転勤。

また、被災地であるにも関わらず、
節電中の中、練習で電気を使うこと。

本物の日本刀を使う演舞があり、
もし余震などが発生した場合、
人命に影響がある恐れ。

それと、世間の自粛ムード。


しかし、このお祭りは7つの地区で運営されており、

他の地区からのいろいろな声が聞こえてきます。


結論として、

私が学んだ事は、


会社とかある営利団体は、

オーナーや社長の早い決断や、

迷わない信念は大事だが、


誰か一人のものでもない、

このような平安末期から続く祭りであったり、

地域のこういうものは、


ある一部の人の意見や、

自分達だけのことを考えたり、

損得で考えたりなど、

絶対にうまくいかないし、


こういう事柄は、

一生どころか

後世まで、

残る。


ということを学びました。


会社と地域でのある団体。


同じ人と人の組織で、

生活に必要な組織だが、

大きく本質が異なっていることに

改めて思い知らされました。


あらためて、広く、数多くの人に、

話を伺い、問いただし、

そのものの本質をみて、

答えを見つける。

ということが大事だなとおもいます。


また、それと、人々の気持ち。


おじいちゃん、

おばぁちゃん、

こどもたち。


春の訪れを告げ、

自然の恩恵に感謝し、

五穀豊穣・家内安全などを祈念し、

すべての物に対する感謝祭、神祭り。


それが、神楽。



時を隔てて、平安の末期から、

東国の半農半武の祖先達が、

源氏の武運長久を祈り、

奉納したことがきっかけですが、

永き時を経てずっとずっと、

五穀豊穣を祈り、

春の種まきの前に行う行事として

続いているものだと思います。


災いを取り除き、

これに携わると福がくると

皆信じております。


長い冬が明け、

今年一年の

豊作と健康、

そして、

元気を届ける。


そんな祭りなんですね。


これも日本人だから成せることの一つです。

私は、そう思います。


明日は、式典のみ執り行うので、

それのみ参加をする予定です。


本来でれば、紋付はかまでしたが、

礼装で参加します。



田舎で暮らして、生きるのも、ちょっと大変?


こちらは、先日のブログです。
歴史ある神楽の祭り、中止。

初めての3月31日。

本日、3月31日。


今年度が終了です。


初年度の決算日です。


初めての決算をむかえることができました。



なんとかこうしてこの日を迎えられ、


こうしてブログを綴れるのも、


本当に家族や友人をはじめとし、


お仕事を一緒にして頂く方々、


それに関わる全ての人や、


そこで経験させてもらったことが、


僕の財産です。



会社の数字とは比例しないかもしれないけど、


本当に、感謝したいと思います。


そして、いつかきっと。。。


$苦手な田舎暮らしスタート! with My Family-感謝


来年度は、もっともっと上を目指したいと思います。


ありがとうございました。


そして、これからもよろしくお願いします。


今は、大変な時期だけど、


僕は、今を大事に生きていきます。

ありがとう。-日本代表-

本日は、

いいものを見せて頂きました。

$苦手な田舎暮らしスタート! with My Family-キング カズ ゴール

日本代表とJリーグ選抜のチャリティー親善試合。


プレーする人、

プレーを見る人、

プレーを見れない人。


この試合そのものの意味の賛否両論。



キングカズ44歳のゴールには、

被災された方も、

そうでない方も、

日本人全員に勇気を与えたような気がする。



僕は、与えてもらった。

涙がでた。


また、小笠原の、今野の、ピクシーのメッセージにも、

涙がでた。


それ以上に、

海外から駆けつけた選手はじめ

この為に調整した選手、スタッフ、

そして、会場の外にいたサッカーOBの方々、

関わる全ての人。


サッカーという一つの言葉で、

一つのスポーツで、

みなが一つになり、

一つの事を成したことに

心から敬意を表したいと思います。



僕は、またサッカーが大好きになりました。

ありがとうございました。



明日、被災地のどこかで、

ボールを蹴る子供達が、

これからの日本代表です。


僕も負けていられないです。

いつもありがとうございます。




最後に、もう一度。


試合前にサッカーで何ができるのか、

サッカーをやってもいいのかと悩んでいた、

キング カズのゴールが、

この親善試合の意味を、

そして、

今の日本中の自粛ムードをなんか救ったような気がします。


もうすぐ4月。


僕も3月11日を境に

大きく変わったけど、

頑張る。

夜空の星に

お疲れさまです。


日々、

一日一日が、

過ぎていきます。


大震災の後、

急速に道路の修復工事は、

進められているが、

全然追いつかない。



車が通れなくても、

道路があるだけありがたい。



本日は、

年度末ということもあり、

地元の青年会の引継式があり、

参加しました。

もちろん、初参加です。




みんな、

今を、

この夏を、

その先の秋を、

心配していました。



その帰り、

みんな、

夜空を見上げて、

星を見ました。



すごい星の数。

友人が言いました。



最近は、星が本当にきれいだ。



『見えなかった星も見える。』



僕もそう思う。



本当にきれいだ。



『今まで見えなかった星まで見える。』



そう見えます。



何故なのだろうか?


停電?節電?

工場地域が起動していないから、

夜空が澄んでいる?




僕がこどもの頃の空の星は、


こんな感じだったかな。


こどもの時は、


たくさんの夢があった。



何か、


大事なものをひとつ、


見つけたような。



星の数だけ、

願いは届く。


そして、

願いは叶う。



どんな時でも夢は忘れちゃいけないよね。

だけど、正直つらいよね。


The wish reaches only the number of stars.

I hope you live your dream.




いつもありがとうございます。

石頭と未来の宝

大震災から2週間が経ちました。


未だ余震が来るとビックリします。


未だライフラインは完全になりません。


放射線の問題も深刻です。




そんな中、甥っ子が遊びに来ました。

$苦手な田舎暮らしスタート! with my family-石頭


とても固い石頭で、


本当に痛い。大人の僕の方が痛い。


(>_<)助けて。


何故こんなに固いのだろう。


会話ができるようになったら、聞いてみようと思います。


石頭とは、
1、石のように硬い頭。

2、融通がきかず、考え方がかたくなであること。


考え方は、柔軟の方がいいかな。


どんな時でも、子供は『未来の宝』ですね。


私には、残念ながら、まだ子供はいませんが、、。

だからこそ、よりそう願います。



こんな時だからこそ、


大人も


おじいちゃんも


おばあちゃんも


こどもも


みんな、みんな、頑張りましょう。


いつもありがとうございます。









ソーシャルネットワーク

Facebookを本格的に触りだしました。

理由は、ここ最近の出来事からです。

まずは、全てが変わったあの震災から。

災害時に電源があればでの前提での話ですが、
個人的に役に立ったものは、電話や携帯でもなく、
Twitterでした。


情報を得るのと家族の安否を確認するのに、
Twitterは、強かった。ものすごい威力を発揮しました。
電話や携帯が使えないなかで、よく働いてくれました。

TVより早い。そして、TVの情報よりも正確だった。
中には、心ないデマツィートもありましたが、。

Twitterでは、友人からの情報にとても助けられました。
本当に感謝しています。
なければ、家族の安否を知ることができませんでしたし、
家に戻ることもできなかったでしょう。

もちろん、そういう時だけの為のものでもありません。
昨年、Twitterを通じてのサーフィン仲間が出来ました。

この年で仕事関係なしの友人が出来るのは、
なんだか嬉しい気持ちです。

小さな成功体験です。


また、Facebookを通じで、米国で住んでいた友人からは
とても力強いメッセージを頂きました。

なんだか数年前のことですが、
その当時の希望に燃えていた頃の気持ちを再度貰った気がします。

決して今は、希望がないわけではありませんが、
正直、震災でその火が消えたような気になりました。

だから、Twitterやソーシャルネットワークは、
途中嫌な気持ちになったこともありましたが、
やっていてよかったな。というのが本音です。


さらに、先月のその出張の際に、
ロサンゼルスのアパレル会社を経営している友人に言われました。
(友人といっても大先輩です。)

今は、4歳の子供が、Ipadを大人より自在に操る。
普通にお金は、どう支払うのか?と聞いてくる。

確実に時代が違う。あと、10年したら、まったく違う時代が来るだろう。
商売の仕方や稼ぎ方、稼ぐ国など様々になるだろう。
しかし、それは、いつから始まったなどとわからない。
気がついたらそうなっているものである。

だから、今から仕事においても準備をしておき、
チャンスに備えるようにとのこと事でした。

その言葉が、頭の中にとても残っています。
だから、とりあえずやってみようと思います。

いつもありがとうございます。


ここ最近は、外出や外に動くことが減ったので、
ブログをよく書いているように思います。

未来へ〜今〜

未来に向けて、
復興でない、
新しい日本を創造したい。

誰もがそう思っていることでしょう。

現状を、綴っておかないと風化しそうなのと、
今の気持ちをずっと持ち続けることが大事だと思うので書いてみました。

去る3月11日に発生した東北関東大震災により、
私の地元での被害も正直大きく、
地域の皆が驚いております。

私もその日を境に、
目で見える景色や頭の中の考えていたこと、
すぐ先にあった夢や希望が、
一瞬で別の物に変わってしまった気がしています。

隣近所の80歳過ぎのおばあちゃんが初めての体験だ。
恐ろしい、恐ろしいと言っております。

私は、その日は、東京におりましたので、
地元での実際の体験はしていませんが、
東京での会社での揺れはすごいものがありました。

その後、連絡もすぐに取れなくなり、帰宅もできず、
心配でたまりませんでした。
幸い友人の助けで、なんとか戻ることができました。
本当に感謝です。

報道は、もっぱら東北地方中心ですが、
千葉、茨城の沿岸部も大変です。

津波がきて、千葉の親戚の家は、全損。
茨城の工場地域は、壊滅。

道路はぼこぼこ。家は傾き。
屋根には、ブルーシートが多くのっています。

未だに、ライフラインも復旧しておりません。

生活以前に、家族が一緒に暮らせないようになっています。
茨城の工事勤務の人は、九州、山口、川崎などなどへ転勤の辞令など、
家があっても、家に被害があっても、地元を離れざるをえません。

当家でも、
建物3棟の瓦落ち、地盤沈下、それにともない車庫、作業場は傾き、
家屋損傷、屋内もヒビや損傷、家財損傷、水道管破裂、ボイラー損傷等々の被害です。

2Fのオフィススペースの散らかり具合とモノの落ち方倒れた方はすごいもの。
余震と外のもろもろを片付けがはじめなので、全然手が回らなかった。

幸い瓦が落ちた屋根には、ブルーシートもかけることができました。
ブルーシートがもう手に入らないのです。それと、ブルーシートを抑える土嚢の袋。
土嚢の袋には、土や砂が必要です。
それを、雨が降る前までにやらなくてはなりません。
屋根に乗るのは、難しいです。乗っている時も余震は続きます。

地盤が落ち、動いてしまった隙間には、
早く土をつめておかなくてはなりません。

恐ろしい亀裂が大地に走ったものです。

ライフラインは、復活せずとも、
オール電化などの現代の産物と逆行している強さを発揮しました。

水は、井戸の地下水。
ガスは、プロパンガス。
お湯等は、自家でのボイラー。
お米は、自家の備蓄あり。

よって、困っている親戚や近所等へ水、
米を分けたりしているくらいです。

しかし、そうでない家は、本当に大変です。

隣近所には、70歳以上の高齢の女性だけの一人暮らしや
二人暮らしがいます。
旦那さんご主人は既に他界し、息子達は地元を離れて暮らしています。
何故か、近所に男の僕がいるということで安心するようです。

また、こういう時だからこそ、
逆によくアメリカから帰ってきてくれたと感謝されます。

女性のパワーには、圧倒されることが多いですが、
本心は、心細いのだと思います。

また、女性は、正直、トイレの問題などは大変です。

それと、ガソリン。
これがないとどこにも行けない。
モノも買いに行けない。

先日アップした4月の春の神楽の祭りも中止になり、
これまで毎日練習を重ねてきて、
寄付金や衣装代だけでも高額な費用負担があり、
さらに多大な労力をかけてきただけに
残念な思いでいっぱいです。
今週末には、仕舞式(終了式)を執り行うことになりました。

本音は、私達も被災者と思いますが、
それ以上の方々のことを考えると、
胸が、心が、痛いです。

よって、その多くの集まった寄付金を
その方々へ義援金と姿を変えます。


今年は、我々の地域でもお米がたぶん例年の30%くらいしか
生産ができないだろうという話になっています。
水の農業用水の配給が壊れていてできない為。

家の瓦の修理も半年から2年待ちとのことです。

両方を行き来していてわかることですが、
東京と地方の成り立ちと経済バランスはなんともいえません。

僕にはよくわかりませんが、皆が共に幸せになれる形を
新しい日本になると信じています。


教訓ですが、やはり、人は、自然には到底かないませんし、
足下にも及びません。

現代社会の利便性などだけに目を向けていると
いざとなったとき、何もできないし、意味がない。

やはり、古来からの人の営みに目を向け、
敬い、感謝し、そして、

ただ、ただ、今自分ができることだけ、
与えられた機会やチャンスを精一杯やるだけ。

いつどうなっても後悔しないように。

だから、僕は、いつもどんな場面でも
前へ1歩2歩進めなくてもいい。

常に半歩だけでも前への人生を生きたい。楽しく。自分らしく。

いつもありがとうございます。

$苦手な田舎暮らしスタート! with my family-朝焼け

歴史ある神楽の祭り、中止。

満月の夜に思い、これを綴っております。
前回の満月の夜は、NYにいました。

何故か不思議な気持ちです。

私の地元の春季大祭の笹川の神楽のお祭りが中止となりました。
形式のみの式典と他地区への引継ぎのみ執り行い、
舞子が神楽殿で披露する16座神楽が中止となりました。

苦手な田舎暮らしスタート! with my family-神楽

古くは、平安時代の末期、西暦1191年(建久2年)から続いています。
千葉成胤が源頼朝の平家討伐に武運長久を祈り、
初めたものと伝えられています。
約900年もの歴史と伝統あるお祭りの一つだと思います。

神子の舞いから始まり、
最初は猿田彦大神(道祖神)から、最後は素盞嗚尊(天照大神の弟神)まで
16人の神様や源氏の祖先八幡太郎義家や動物の狐さんもでてそれぞれの舞いを披露します。

苦手な田舎暮らしスタート! with my family-神楽

時を隔てて、東国の半農半武の祖先達が、
五穀豊穣を祈り、春の種まきの前に行う行事として続いているものだと思います。
災いを取り除き、これに携わると福がくると皆信じております。

その行事が、東北関東大震災の影響で中止となりました。
そういわれると言葉がありません。

私は、地元が正直好きでなかったし、
地元の人や年配の人達がとやかく口を出している姿や、
亡き父がとても好きだった反動もあり、
地元に住んでいなかったこともあり、
今迄参加はしませんでした。

特に、地元では何故か特別な伝統ではりきる人達が多く、
世間の大人や社会に反発するきらいがあった私には、
逆に嫌だったのです。

しかし、小さな子供の頃は、神楽となるとワクワクし、
出店や笛や太鼓の音に何故か反応したのを覚えています。

もともとは、地元の地区の7つの区の持ち回りで
7年に一度しか回ってきません。
そして、家の長男しか関わることのできない行事でありました。
(今は、人口が減っており、そんなことはありません。
しかし、女性は神楽殿に触ることすらできません。)

そういった人口減とそれにかかる労力と金銭面で存続の話がでておりました。
よって、今回がうちの地区としては、最後の担当ではないかと考えておりました。
だから、最初で最後のつもりでこれに取り組んできました。

朝、5時半からの早朝の走り込み、夜は7時から11時までの練習。
お陰でこんな朝焼けを見ながら、期待と何かこれを成し遂げれば
何かがくると信じて、希望を持って走っていました。

苦手な田舎暮らしスタート! with my family-朝焼け


これが、何か地元と亡き父と祖父に対しての当家の長男のケジメだと
勝手に思い取り組んできました。

本来舞子役は、18歳くらいから29歳くらいまでです。
何故かというと、舞子なので、舞うはずですが、
実際は、舞うのではなく、跳ねることが多く、
若くないと正直大変です。
地元では、舞うことを、跳ねると皆そう呼びます。
しかし、あえて今年38歳になる私が当然最年長で挑戦してきました。


神楽の舞子は、区からお願いされる形で舞子を受けます。
なのにも関わらず、お願いだけして、
舞子に何も相談なしで、中止決定を決めてしまうことに、
頭は理解はできても、気持ちが納得できない。
舞いたい。
というのが本音なのだなと
これを綴りながら再認識をします。

さらに、舞台衣装から道具、その舞いにもちいるもの一式は、
舞子の当家で全てを負担します。すごい金額負担となります。

それとは別に、当家含め、全ての家からこの神楽の祭りの為に、
寄付金を出しています。
お金だけの問題ではありませんが、
その寄付金は、東北の方々への義援金とするそうです。
しかし、私達も東北の沿岸部の方と比較出来ませんが、
被災しています。

地元を悪くいうつもりもありません。
執行部と世話人の方々、本当にご苦労様です。
舞子だけの気持ちで出来るほど甘い簡単なものでもありません。

しかし、舞子16人それぞれの想いは、
相当に深かったんだなということがわかりました。

それぞれ夢でもあり、何か希望の神楽だったような気がします。

僕は、この舞いをお墓にもっていき、
あの世で亡き父に見せてあげたいと思っています。

そして、4月2日の神楽の日には、
この地域と東北地方の復興の五穀豊穣を祈りたいと思います。

さらに、今後もこの神楽という名の祭りの行事と
その裏に脈々とながれる田舎の一地方の土を大事にした東国武士の日本人の心を、
歴史や伝統として受け継がれて続いていくことを心からお祈りしたいと思います。

神楽とは、自然の恩恵に感謝し、五穀豊穣・家内安全などを祈念し、
すべての物に対する感謝祭、神祭りなのです。

最後に、被災者の皆様のご無事を心よりお祈りするとともに、
この震災で亡くなられた方々に対し、謹んでお悔やみを申し上げます。

今の気持ち〜1週間が経ち未来へ〜

皆様、こんにちは。

東日本大震災より、1週間が経過し、それ以前と今では、
別の世界だったかのような気持ちになっています。

すぐ近所で別世界のような光景を見ると、
報道での訃報を聞く度に、正直ヘコみます。

落ち込んでも仕方がないのですが、
いろいろ考えると正直不安な
なんともいえない気持ちになるというのが
被災した地域の人間として思うことではないでしょうか。

毎日、神棚とお仏壇に私は、拝むのが習慣です。
しかし、今は、大震災の一週間前の拝む時の気持ちと比べ、
なんともいえない変化が心の中にあるのに気づきます。

しかし、私は、恵まれています。まずは、本当に感謝です。
被災したといっても、破損してますが、家があり、家族が無事です。
さらには、それを支えてくれる多くの友人、仲間がいること。
本当に助けられました。

と同時に、恵まれているからこそ、責任があるとも思います。

しかし、僕に何ができるのか今は、わかりません。

もし、これから希望や、使命感を感じたものがあれば、
僕は、その自分の感性を信じ、生きていきたい。

日本に帰国するきっかけとなった、
祖父、祖母、父の死の後に
僕の価値感は、それ以前と比べ、変わりました。
それを消化、理解するにも多くの時間がかかりました。


どんな状況下でも、変わらない自分の生き方、未来への強い心を持って
前に1歩進めなくても、半歩だけでも歩んで行きたいと思います。

うまく説明が出来ませんが、既存の価値観は、大きく変わりました。
これからは、また大きく時代が変わると思います。

僕ができること、
僕でないとできないこと、

うまく説明できませんが、
地道に続けること、
前を向いて進んでいくことが、、、きっと。

そして、そうなるように。
皆様が安心して、心から笑えますように。

いつもありがとうございます。


ネガティブな感じの内容ですみませんでした。

家族に会えました。ありがとう。

やっと、無事に我が家に着きました。

東京からの帰宅難民でしたが、
地震発生から2日後に、
地元の友人、
一緒に働いている仲間、
アメリカに住む友人、
最後は、腐れ縁の友人が
車で途中まで迎えに来てくれた
お陰でなんとか帰って来れた。

本当に、本当にありがとう。
面と向かっては、なかなか言いづらいが、
本当に感謝。

お陰で、妻も母も共に
昨日は不安で眠れなかったみたいが、
今日は寝ている。

我が家の被害は、
瓦落ち、
地盤沈下、
家ヒビ、
壁剥がれ
水道管破裂
オフィスは、
電話機やコピー機が書類がぐちゃぐちゃと、
いろいろありますが、
家族に会えただけ幸せです。

そして、そういう友人に囲まれている事に
こういう状況ですが、本当に感謝しています。
僕は、幸せ者です。

妻は、近所の幼なじみの行動、
親戚の行動、
改めて、”ここ”だからを
実感したことがあるようです。
いつもありがとう。


最後に、他の被災地の方々頑張って下さい。
ただ、ただ、心からお祈り致します。


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