零細プロダクション代表のBLOG -7ページ目
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現場での役割

撮影の仕事とは、ことグラビアで言うと「戦場」ではない。割とゆっくりとした空気が流れるものだ。ただそれは「自分のチーム」で仕切りをしているときに限る。

先日、グアムでの撮影をしてきた。これはボクともう1社とでキャスティングをし、メーカーから制作費を頂き撮影をすることとなったのだが、「ひとり4役」というこれまで体験したことのない現場となった。通常であればスチールのカメラマン、VTRやメイク、スタイリストはボクの気心の知れたスタッフを帯同させる。場合によってタレントマターのメイクやスチールということが稀にあることもあるが、今回はメーカー指名。また、ロケ現場のリクエストの回答が当日までなく、スケジュールを現場で組まなくてはならない。衣装と現場の雰囲気がロケ地ですり合わせなくてはならない。そしてサブカメラを回しながらプロデュース業をしなければならない…。

結果的には事なきを得た(と思っている)が、さぞかしタレントさんも事務所も不安であっただろうとかなり反省している。色々と言い訳にしたいのは山々ではあるが、とても勉強になった現場であった。

グラビアの世界への道

ボクは大学を出た後、スポーツメーカーに就職したのだが、3年間の勤務を前に大学の同期と共に、いわゆる「エンコード」という仕事を軸に会社を建てた。当初はそれと共に「パソコン1台でできる仕事」を模索し、ECショップの経営との2本柱で最初の決算を迎える。2年目に入り、手狭にもなり営業マンを雇ったのだが、そこからこの会社は不穏な方向へ向かうのだった。

これまでコンテンツホルダーとメーカーとの狭間でのパイプ役で利益をあげていたのだが、「我々でコンテンツを持ってはどうか」ということになりメーカーとしての機能を果たすようになる。ここでボクは図らずもグラビアの世界へと飛び込んだのだ。ただしメーカーというのは売れなくては倒れてしまう。いくら良いキャスティングをしたからといって、蓋を開けるまでわからない、それがメーカーだ。この会社は結局「スマッシュヒット」を排出することなく倒れることとなる。ボクはというと、その直前に「メーカー1本でいく」というパートナーとの意見の相違で会社を後にしていた。それはまさにその直後の出来事であった。

会社を後にしたボクはというと、フリーのプロデューサーとしてグラビアの仕事に携わっていた。グラビアにも雑誌、写真集、DVD、webと様々な媒体が増えていた時期で、そこにアーティストのプロデュースやPVのディレクションなどもあり、キャスティングとコーディネーションとを合わせるとそこそこ食べていけていた時代でもあった。この時期は「フリー」とは言っても「師匠」がいた。彼は長く芸能の世界に身を置く、いわゆる「業界人」であり、何もかもが常識を逸脱していたが、不思議と食うには困らないという妙な人種だった。普段はとても尊敬できるという方ではなかったのだが、いざ撮影現場に立つとそれはそれは見事に現場を仕切る。これはボクが何年かかっても敵わないと思わされたものだった。

時は流れボクもひとりで現場を仕切るようになった。師匠のような仕切り方はできないが、ボクなりのやり方で「世界」や「空気」を作っている。これからもお客さんが今まで見たことのないような作品を世の中に排出していければと思っている。
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