子供のころから変わった思考回路を持っているというか、廃墟や捨てられたものを見ると新品だったときはどんなだったのかしら、どんなふうに受け入れられていたのかなって想像を巡らせるのがくせだった。見えている状態のひどさから一番良かった状態を想像する、かかわった人たちのことを勝手に想像する。年月の残酷さ、捨て置かれることの辛さなどを勝手に想像してた。ずっとそのままだったらこんな風に忘れ去られるような悲しい状態にはならないのにと思った。まあ想像力過多な子供でした。今のようにスマホがあるわけでもなく忙しくもなかった昭和の子供でしたから、頭の中でなにか想像して遊ぶことが好きだったように思う。
そのうち人間に対しても失礼なことに同じように想像しておじいさんやおばあさんの若いころはどんなだったのかなとか老夫婦なら付きあい始めはお見合いかなとか、まあ頭の中の想像はある程度失礼でも時効なので許してほしい(笑)
ドラマとか小説とか好きだったからそういう影響もあるかもしれない。親の昔の写真とかも見て余計そういう事を想像しやすい下地ができていたかもしれない。
親も赤ちゃんで幼児で少年少女で若者だったんだって。
今親、祖母の立場なので、子供や孫から見たら私ははるかに年上の大人でしかないのだろう。
私自身は若返りたいとか昔に戻ってやり直したいとかそういう気持ちはない。今が好き。いろいろやらかしもあるけどここまで歩んできた自分の道のりはすきだ。
それなのに見えているものや人に対して想像力で時間を逆行させているのはどうしてだろう。