完全に個人的な日記と言うか

私にとっての「初心に戻る」記録です。

 

被災についてなので、スルーしてもらっても大丈夫です。

 

しかも長文。長過ぎます。

 

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震災から1年後の

12年前の今頃、夫に出会いました。

「おれ、不幸です。」みたいな

オーラを全身から放っている酔っ払いでした。

 

もはや泥酔してる人でしたw

 

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え?出会いなんて、聞いてないよ!って?

 

ま、そうなんですが。

初めて出会った時は

しらなかったですが、

 

たくさんの命が突然奪われた日

「当たり前」のような日常が消えた日

 

あの311の日

 

夫もまた奥さんや実母、友人、教え子

家や思い出、全て流され

 

失った人でした。

 

 

 

 

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あることがきっかけで夫と話した時

彼は前触れもなく「俺は被災者です」

と言ってきた。

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知人にも何人か実家が流されてなくなったと

言う話は聞きました。

 

が、直接の被災した人には出会ったのは

初めてだった。


震災当日、私は都内のスタジオで働いて

スタジオに缶詰状態

その時は震災の爪跡がどんなに大きかったか

知ったのは
 

翌日からニュースで津波や原発問題をしり

恐怖を覚えたのを記憶しています。

 

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「俺は被災者です。

あの震災で津波に流されて、

家族も流されて、亡くなりました。

だから、こっちに来ました。」

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さらっと言ったこの言葉。

一瞬理解でしなかった。

流された?

亡くなった?

 

震災の悲惨さは確かに記憶していても

被災した人の本当の悲しみなんて

想像しかできないのです。

 

夫は

宮城県石巻市、大川小学校の近くだったそうです。

 

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地震のあった時、家族5人が同じ家にいて皆、

津波にのまれた。

そのうち3人は津波で亡くなり、

2人生き残った。

奥さんと義母の遺体は彼が見つけたそう。

 

彼の実家も流されて、実母が亡くなった。

 

自分の家族も実家も思い出も消えた。

罪のない小学生の柔道の教え子も亡くなって

 

彼は生き残りました。

 

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「だから、辛くても生きなきゃダメなんですよ。」

 

「なんで、純粋で罪のない子供たちが

死ななければいけなかったのか。

納得がいかない。辛くてあそこにはいられないですよ」

 

「嫁のね、遺体を一生懸命探しました。

早く見つけてあげたかった。でもね、手がね、

手が出て来た時、やっぱり無理って思って自分ではそれ以上、

土砂を除く作業ができなかった」

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彼は自宅で津波に飲まれ、山に泳いでたどり着いた。

一夜をそこで過ごすのだけど、

雪の降る時期。

彼は穴を掘り身を埋めて体に枯葉をかけて

寒さをしのいだそうです。

 

津波で亡くなった方もいますが、

津波に飲まれて濡れた体で一晩を野外で過ごした方は

凍死した人が多いと聞きました。

 

彼の実母がそうだったと聞いています。

 

生き残った者と亡くなった者と。

生き残って全てをなくした人。

一部をなくした人。

 

思い出の街はもうなくて、

思い出の写真さえない。


彼の地元には街があった形跡がありません。

すべて津波に奪われたのです。
 

そんな過去を背負った人と私は結婚し

出産しました。

 

新たな命。

 

息子を抱いた彼が言いました。

「お袋に抱いて欲しかった」と。

 

震災がなければ亡くなることはなかった。

でも、震災がなければ息子は産まれることはなかった。

 

どっちがどっちではない。



震災がなければ

夫は今も石巻で暮らしていた。

そして私もまた

違う生き方をしていた。
 

でも、こうやって出会い

家族になったから

 

だから毎年確認するのは

「今、幸せですか?」

 

 彼が私といて幸せか

そして私も幸せでいるか

 

てか、幸せとは?

ですよ。

 

夫から言われたのは

「君が楽しく生きられてるか」

 

そこが大事と言われた時

自分のことをもっと

幸せにすることを意識しようと思ったんだよね。

 


 ま、私は夫がいる限り

精神面が安定するので

 

10歳年上の夫ができるだけ長く

生きてほしい。

 

 

んで、まだまだこれから

馬鹿みたいに家族みんなが

 

自分の可能性信じて

もっともっと

 

楽しく生きていくんだい。

 

 



 という勝手な私の思い。

もし、読んでくれた人がいるならありがとうございます。