2016年1月1日、ウクライナは欧州連合(EU)との深層・包括的自由貿易圏の経済コンポーネントを申請した。


2021年3月からロシアとの間で緊張が高まり、2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が開始された。


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本文インタビュー記事の中で、プーチンがウクライナのロシアとの歴史的関係性についてと、彼が国や国家という枠組みついての基本的な理念を語っている部分を抜粋して見た。



単一の領土。

統合された経済関係。

同じ言語。


そしてロシアの洗礼の後、同じ信仰と王子の支配があったからだ。


それがリトアニア大公国である。 リトアニアはリトアニア・ロシア公国と呼ばれていた。 


彼らは古いロシア語を話し、正教徒だった。 


しかしその後、リトアニア大公国とポーランド王国の統合が行われた。


こうして、これらの土地はポーランド・リトアニア国家の一部となった。 


数十年の間、ポーランド人はこの地域の植民地化に従事した。 


この住民は正確にはロシア人ではなく、辺境に住んでいる意味から、ウクライナ人であるという考えを定着させようとした。


もともとウクライナ人という言葉は、周縁部に住んでいたり、国境警備隊に従事していたりする人を意味していた。


むしろウクライナ人という特別な民族集団に属しているとされる考えが、オーストリア参謀本部によって宣伝され始めた。


1922年、ソビエト連邦が樹立された時、ボリシェヴィキはソビエト連邦の建設を開始し、それまで存在しなかったソビエト・ウクライナを樹立した。


(レーニンは) それらの土地がウクライナと呼ばれたことがなかったにもかかわらず、そのウクライナ・ソビエト共和国の一部とされた土地の一部を譲渡した。



重要なのは、ソビエト国家の創始者レーニンがウクライナをそのように建国したということだ。


そしてまた、理由は不明だが、ボリシェヴィキはウクライナ化に取り組んだ。


第二次世界大戦後、ウクライナは戦前にポーランドに属していた土地に加えて、ハンガリーとルーマニアに属していた土地の一部を譲り受けた。


つまり、ルーマニアとハンガリーは自分たちの土地の一部をとりあげられ、ソビエト・ウクライナに与えられたわけだが、それらは今でもウクライナの一部である。 


その意味で、ウクライナはスターリンの意のまま形作られた人工的な国家だと断言する十分な根拠があるわけです。


第一に、当時のロシア指導部は、ロシアとウクライナの関係の基本は、実は共通言語であると信じていたのではないだろうか。


ウクライナでは人口の90%以上がロシア語を話していた。

家族の絆、現地の3分の1の人が何らかの家族や友情の絆を持っていた。


共通の文化。


共通の歴史、最後に、共通の信仰、何世紀にもわたる単一国家との共存、深く相互に結びついた経済。


これらすべてが非常に基本的なものだった。


これらすべての要素が相まって、私たちの良好な関係は必然的なものとなっている。


しかし、ロシアはセルビア人支持の声を上げずにはいられなかった。


なぜなら、セルビア人もまた、正教の文化などを持つ、わが国にとって特別で身近な存在だからだ。


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このように挙げて見ると、プーチンの国や国家の在り方に対しての一定の哲学、法則性が見えて来る。


まず、単一の領土。

そして、統合された経済関係と

同じ言語であること。


そして、プーチンが深く思いれる、ある意味、共通の潜在意識とも言える同じ信仰心、ここではロシア正教(キリスト教)が根底にあるということを家🏠に例えるならば、家の基礎、木🌲で言えば根っ子の部分の考え方が一致していることが、何よりも大事だと思っているように感じた。


その最たる事例は、コソボ紛争時のセルビア人擁護の発言である。




その理由が、「なぜなら、セルビア人もまた、正教の文化などを持つ、わが国にとって特別で身近な存在だからだ。」である。


そして、ここで、ウクライナの語源的意味も分かって来た。


つまり、ウクライナという名称は〈辺境〉を意味するクライkraiからつくられたもので,12世紀ころから使われていた。


ウクライナ人は、辺境に住んでいる意味から、周縁部に住んでいたり、国境警備隊に従事していたりする人を意味している。


そして、ウクライナはソビエト国家の創始者レーニンによって建国され、スターリンの意のまま形作られた人工的な国家だとプーチンは位置付けている。


レーニンはともかく、スターリンはウクライナに対して、1931年に500万人という途方もない餓死者を出したとする大飢饉というジェノサイドを意図的に起こしたとされている。


(次回につづく)