大統領選ですが、断言はできませんが、結局はトランプ大統領で決まる勝算が高いと思います。

どの様なソースか、と申されれば、具体的なものでなく、

私自身が、1996年から約30年に渡り、関わり、そして現地に住み、様々な都市を自分で訪問し、

そして、そこでの様々な職の方々、仕事先からその工夫、ホテルの従業員に至るまで

接触し、そして現地の様々な風景を見て来たことから。

 

先ず、総じた米国人を見た場合、結局は、それはトランプ大統領の姿に相似すること。

 

勿論、外観、そしてあの舌鋒はデフォルメされた姿ですが、総じた米国人の心の中やスタイル

からすれば、人により、希釈された程度の差はありこそすれ、それに相似したところが

多い。

 

結局は米国の地盤を鳥瞰するに、その全貌を見た場合、地盤は農業の国である事。

そしてその地盤を精神的土台として、様々な産業が興り、産業に関わる人的資源が後発して随伴してきたこと。

 

現在のハリス氏を見ていても、4年前のバイデン大統領当選から、どれだけ大衆の前に出て来たか

それが、極めて不透明。

 

また、バイデン大統領自体も高齢の事もあり、大衆の前に多くは出てこなかった。

そして、それが出てこないまま、出ない状態に追従してハリス氏も出てこなかったなというイメージが強い。

 

寧ろこの間に、トランプ時代を一度に塗り替えるように政権としての顔として、頻繁に表れていたのは

ジェン サキ報道官だった。私は、民主党のそして米国始まって以来の女性大統領として民主が旗揚げするのであれば、

ハリス氏というよりもサキ氏の方がそれはふさわしいと考える。オバマ、バイデン両政権に仕え、尚且つ、

プレスに頻繁に会見を開き、そしてその小さな議論の場において、記者からの共感力やプレゼン能力、

それらを見てみても非常に優秀。

 

現在、民主党が大会で注目し、支持を集めている層を注目してみると、その支持者は主に、芸能人、そして、その芸能人達の芸術作品

ともになりがちな、そして、あの国においても、ダイバーシティーの中において特に、非差別的な環境に置かれがちなアフリカ・アメリカン

の方々の支持とパフォーマンスで盛り上がっているが、、

 

この結局は国の歴史的な基盤、地盤が農業と言える国において、それら大陸の主に東西両海岸側に多く広がる、民主支持区域以外は

やはり保守的な思想と集団が多く、そして、そういった方々は深層心理的にやはり、この旧態の思想を多く持っている。

 

これら保守層においての考え方においては、実はいまだに米国は男性優位という形にはなっている。

映画Back To The Futureにおいても主人公マーティーの母が若い頃、まだ馴れ初め前のマーティー父が母を口説こうとするが

口説き文句も紙に書いて読み上げる始末。そして、そんな頼りない父を母は一蹴する。

「男の子は凛として、立ち上がり、女性を守るその強さが無いと・・」

 

同作3でも、マーティーはタイムスリップした西部開拓時代に、早撃ちの決闘に参加させられる。

そこで、周りの人間から言われる。『行け、抜け、そうでなければ、お前は腰抜けだ。生涯腰抜けと言われる』

 

これは、現在の米国人の一般大衆の考え方を具現化したものかと。

 

そう。男はカウボーイ。迫り来る夷狄に怯むことなく、立ち上がり、銃を取り、恋人を家族を守り闘うカウボーイでなければならない。

俄かに演説中に撃たれ、流血しながらこぶしを振り上げた。そこに、アメリカ人達は、Showdown!つまり、西部劇の最後の

決戦で尚奮戦する西部劇ヒーローを彼に照らし合わせたに違いない。ダメージを受け、血を流しながらも立ち上がる、そして

リベンジするという姿に米国人は正義の名の下歓喜する。

 

様々な州のクラブハウス等に行くと、ライフルを手に集合する、その地域の古い男たちの記念写真などが壁にかかっている。

そもそも、女人禁制のクラブハウスなどもある。

NYのバーMcSoleys等は大変古いバーで、店内に女性のお手洗いの作り付けがない。歴史的に酒場に女は入れなかった。

その名残はまだ残っている。

 

ただ、米国では、様々な職に女性が就いている。日本でも多くのジェンダーフリーが進んでいるが、米国人女性の場合、

日本人女性に比して体格、そして骨格なども大柄であると感じる。それに従い、例えば膂力の差などもあり、

日本人女性が多く就かない更なるハードな肉体労働職には就いている。

 

だが、日本人女性が総じて就かない、就けない仕事に多く米国人女性が就いている事。イコール全くの

ジェンダーフリー社会を米国人女性や、米国社会が目指しているという事ではない。その点が日本において

誤解されている所。

 

そういう環境下にあっても、『あれは男の仕事』という役割に依っての位置づけは米国人の女性たちの中にもある。

カウボーイはボーイ、即ち男が演じるべきロールだ。

 

その男が演じるべきロールとして、(米女性達を含む、地盤として農業国米国社会が容認されている職の最たるものとして)

大統領職がある。まあ、あれは男がやるもんだよね。と。事実、Gワシントンから現在までの235年間

一人も女性は就いていない。

 

確かにヒラリーや、共和党でもヘイリーが名を上げてきた。

その歴史を変えたいと望む女性が民共両党に存在することは事実だが、

多くの民衆の考え方は、実は未だ驚くほどに、固陋である。

 

大統領選挙は各州の勝者による選挙人総取り制なので、選挙人数の多い州ばかりの世論調査を述べているが、それらを見ても、両者の支持率の差は未だ一桁、誤差範囲内であり、事実上拮抗状態だ。

 

そして、ハリス自身がこの4年間でほぼ国民の前にも姿を現さなかったこと、片やトランプ自身は、政権を務め、その間、歩き対外的に多くの人間と会ってきたこと。そして、この4年、大統領職からは引いてもなお、ビジネスマンとしての才覚から

人に会い続けてきた事。 その才覚の差がこれからどう出てくるかが注目される。

 

 

これは僕が大統領職は男であるべき、という僕自身のコメントを述べているのではなく、米国における

大部分の州での多くの人の考え方等から推察しての事を述べるに留まるものである。