死後の世界の話 ⑤
今回は少し飛躍的な話です。
皆様はこの世界は現実にあるものだと思いますか?
なぜそう思うのか、その根拠は何なのか。
そう言われると困りますよね。
毎朝目覚めて、顔を洗い歯を磨き、着替えて仕事へ出掛ける。
仕事から帰り食事をしてシャワーを浴び、歯を磨き就寝する。
どうですか?
まるでプログラムされたように日々が過ぎていきませんか?
全て自分で選択しているようなつもりでいますが、それら全て、私がこうして死後の世界についてブログを書いている事さえもプログラムされていたらどうでしょう?
そんな事は有り得ないと思うかも知れませんが、大抵の人間は毎日寝ます。
つまり毎日死と同じような経験を繰り返します。
そこで一日の出来事が脳へセーブされています。
そう思っているだけで、実は外部のサーバーとリンクしているかも知れません。
私たちの脳は実は外部サーバーに毎日アクセスして、情報のアップロードとダウンロードを繰り返しているとしたらとても面白いですよね。
こういう話があります。
ゲームの中のキャラクター達は、自分は実際に生きていて、自分自身で全てを選択していると感じているというのです。
しかし実際には私たちプレイヤーが動かしています。
とても面白い話です。
ゲームの中のキャラクターは、死ぬとまたコンティニューされ復活します。
しかし、そのキャラクター自身は自分が死んだ事すら気付いていません。
これを考えると、私達も毎日「死」を経験しているのかも知れません。
気付いていないだけで。
今頭にある記憶は実は新たにダウンロードされた記憶なのかも知れませんね。
例えば何か物を失くしたとして、その物というのは所有していたという記憶だけで実際にそこに存在しなかったという事もあるのです。
今現実にそこに存在しないのならば、その物は初めから存在しないのと同じ事なのです。
私達は実際に目で見て初めてそこにある存在を認識します。
一番分かりやすいのは、幽霊とされている存在です。
幽霊というのは見える人と見えない人がいます。
幽霊を実際に見るという人は、そこに幽霊という存在を認識出来ます。
しかし見えない人は、そこに幽霊が存在するという認識が出来ないので、幽霊は存在しないのです。
なので、幽霊が認識出来るようにプログラムされた記憶か、認識出来ないようにプログラムされた記憶か、人それぞれだという考え方も出来ます。
そうなると「死」というものが本当にあるのか無いのかは分かりません。
一度死んだ後はまた新たなキャラクターで再開しているのかも知れません。
死の淵をさまよったという人はそこでコンティニューされているのかも知れません。
ただ、大抵のキャラクター達はキャラクターを変更され、最初からやり直すという選択をされているのです。