死後の世界の話 ④
前回はこの世界が実は死後の世界なのではないかという話を書きました。
もし本当に神がいるならば、こんなに辛いはずがない。という事をよく聞きますが、この世界が魂の鍛錬の場であればそういう事も起きます。
神が試練を与えているともいいますが、前回も書いた通り、人生イージーモードの人というのは、前の人生でのポイントが高い人なのかも知れませんよね。
今の人生が辛いと思っている人は、それだけ前回の人生でのポイントが不足しているので、その不足分の鍛錬を積まなくてはならないのだとしたらどうでしょう。
ポイントとは新しい経験だと書きましたが、やはり人生は新鮮な経験をしてどんどん経験値を上げていかないと、いざ人生を終える時、いい経験をしたいい人生だったなとは思えません。
確かに、平凡だったけど幸せな人生だったなと思うことはあるかも知れませんが、色々な経験をして魂の成熟度を上げた方が幸せの種類も増えるはずです。
例えば、一人で経験出来る幸せは一人なら経験出来ますが、二人で経験出来る幸せは一人では経験出来ません。
それは家族にも言える事で、うちは息子が一人なのですが、仮に二人の子供がいたときの、兄弟喧嘩をするという経験は出来ません。
それは新しい経験になります。
やらずに終わる人生か、やって失敗する人生かを比べると、物事をやったという経験と、それに伴って失敗したという経験の2つを経験します。
どちらを選択するかは人それぞれですが、過去に選択した事柄はもう二度と変更する事は出来ません。
ですが、今から新たに始める事は出来ます。
物知りな人というのは、たくさん経験してたくさん学んで、たくさん失敗した人です。
何も経験なく何も学ばなく、失敗もした事がないという人よりもポイントは遥かに高いと私は思います。
ですので今生きている以上は、なるべく多くの事を経験した方が良いのです。
生きているというだけで日々経験ですが、どちらを選択するかは自分次第という事です。