富士山 本宮浅間大社 参拝 2024 パート2
いつものようにグーグルアースで見てみます。
鳥居の向こうに本殿が見えます。
アップにしてみます。
これは完全に千木が外削ぎですね。
そして鰹木も3本なので、やはり男神が祀られています。
どういうことなのかは分かりませんが、主祭神は木花咲耶姫では無いようです。
しかも、奥宮も立て替えられているようですので、立て替えでもそれを変えないというのは気になります。
富士山信仰がありますので、富士山そのものが御神体。
そして、その富士山を男神とした歴史があるのかも知れません。
瓊瓊杵や大山祇が主祭神というのも違うと思いますが、木花咲耶姫は主祭神ではないようです。
一体何が祀られているのか。
境内に戻りまして、本殿左側に三之宮があります。
ここには浅間第三御子神とあります。
第三御子神とは天津日子根命とされる事が多いようです。
本殿右側には浅間第七御子神が祀られています。
第七御子神とは、火火出見命とされる事が多いようです。
山幸彦です。
そしてこの神社には湧玉池があります。
その前に天神社があります。
藤原道真公ですね。
牛の象が道真公の方を向いて寝ています。
藤原道真と牛というのは少々関係があります。
道真公が亡くなった際、遺体を運ぶ牛車が途中で動かなくなったという話があるそうです。
このことから遺体をその場に埋葬する事になり、そしてその場所に現在の太宰府天満宮が建てられました。
この伝説により、牛は道真公の霊を鎮め、守る存在とされているようです。
また、牛は勤勉や忍耐の象徴とされます。
藤原道真が学問の神として崇敬されるようになった事で、牛もまた、学問に励む者を守護し、成功を助ける存在として信仰されるようになったという事です。
牛の像を撫でるとご利益があるとされ、特に頭を撫でる事で、学問が上達するなどという話もあるようです。
その隣、右側に水屋神社があります。
この日も外国人観光客が沢山いました。
鳴雷神が祀られています。
どうして水なのに鳴雷でしょう。
鳴雷は八雷神の一柱で、伊邪那美の死後に左足に成った神です。
雷神は皆、龍蛇の姿だといいます。
そう考えると、龍と水という関係性が成り立ちます。
この水屋神社の石垣沿いに湧水が出ています。
父に連れられて行っていた時はよくポリタンクに入れて水を戴いて来ていました。
懐かしいです。
よく車中泊しながら神社巡りをした事を覚えています。
ここの水でお湯を沸かしてカップ麺を食べたり。
そういう思い出が今を作っているのだと思います。
こちらが湧玉池です。
池には鯉もいて、昔はよくパンくずを食べさせました。
この湧玉池の水源は富士山の伏流水で、年間30万トンもの水が湧き出ているそうです。
名水百選にも選ばれており、水はとても綺麗です。
禊所がありました。
昔は富士山に登る前にここで禊をしたのでしょうか。
ここの水は湧水なのでかなり冷たいです。
ここから入水出来ます。
湧玉池の畔に小さな稲荷神社があります。
ここにはいつも鴨達がいます。
エサが豊富なのでしょうか。
たまに潜ってエサを探しています。
鳥は可愛いです。
とまあ、こんな紹介でしたが、よく行く神社ですので、また書くことがあると思います。
去年参拝へ行った時は土砂降りでした。
そしてその年の暮に父が亡くなりました。
神様というのは、人の死など穢れを嫌いますから、そういう事もあったのかも知れません。
神様も元は人間です。
神話にもありますが、殺し合いもして来ました。
神様をあまりスピリチュアルな対象で見ない方がいいです。
呪い殺すなどという事はないでしょうが、僕達も付き合う人を選ぶように、神達も人を選びます。
それこそ普段から信仰していれば別ですが、特定の日のみの神頼みや、都合の良い時のみ神頼みをするような人は、僕らの日常で見ると、自分の都合の良い時だけ連絡してくるような感じてすよね。
人間同士でもそういう人は相手にしませんよね。
同じですね。
無宗教が生んだ弊害です。
神様なんていないと言っても初詣には並んでも行くでしょうしね。
しかしながら、このブログを読んで下さる方の中には、そのような考えの人はいないと思います。
神社を調べてこのブログに辿り着いているわけですから。
中々行きづらい世の中ですが、これからも信仰心を忘れずに、父の教えも踏まえ、神道の勉強や謎解きに励みます。
ではまた。