富士山 北口本宮冨士浅間神社 参拝 パート4
こちらは池鯉鮒社です。
少彦名が祀られています。
大己貴に協力した少彦名はさぞ頭が良かったのでしょうね。
薬神として有名ですね。
次に日之御子社です。
日之御子神を祀ります。
ヒノミコとは太陽神を指します。
日本でいう「太陽神」とは一般的には天照大神の事です。
なのでこちらには天照大神ないし天照大神の子孫を祀るという事だと思います。
末社摂社を参拝しました。
最後に祖霊社です。
ここから先は登山道になります。
冨士登山道吉田口です。
至る所に富士講の名残があります。
〇〇講社というのは富士講の組織のようです。
その昔は各地に拠点があったそうです。
この石碑は昭和60年に建てられたようですが、昭和60年というのは僕が生まれた年です。
創立60周年記念とあるので、この「山玉下講社」の設立は昭和元年でしょうか。
船橋の富士講組織ですね。
こちらは山開きの記念碑でしょうか。
隣には「登山記念碑」があります。
富士山信仰を行う富士講にとって、というより昔このような時代の人々は、「富士山」というのは霊峰であり、登拝というように、単に「登る」という事ではなく、修行であったり聖地に登り祈りを捧げるというような意味があったのです。
昨今の外国人観光客の問題となっている弾丸登山などといわれる、ただ登って降りるという事とはまるで意味が違います。
神聖なる富士山を汚すなと、さぞお怒りの事かと思いますよ。
こちらは祖霊社です。
ここでいう祖霊社というのは富士講の祖霊社でしょう。
登山によって亡くなった方もいた事でしょう。
今のような登山道のようなものは無かったでしょうし、今は五合目までは車で行けますが、昔は一合目から自らの足で登ったのでしょう。
きっと昔はここへ参拝してから山を登って行ったのだろうなと考えたら何とも感慨深いものがありました。
参拝客が多くて気は薄かったものの、今回はいい経験と勉強をさせて頂きました。
ではこれにて[完]
次は東口本宮富士浅間神社です。