富士山 北口本宮富士浅間神社 参拝 パート1 | SATANS KITTENS

富士山 北口本宮富士浅間神社 参拝 パート1

小室浅間神社の次へ向かったのが、富士山北口本宮浅間神社です。
こちらも富士吉田市にある神社です。
こちらもその昔は富士講の拠点となった事でしょう。


137号線にあるこの鳥居が恐らく一之鳥居だと思われます。


無事に駐車場に入り神社の方へ歩くと、どうやら反対側からの参拝になるようです。

途中、木漏れ日が凄かったので撮りました。

こういう写真結構好きなんですよね。


反対側からではなく、正面から掲載します。

参道と二之鳥居は撮り忘れてしまいましたので、大鳥居からです。

こちらは両部鳥居です。

中々珍しいです。

神仏習合の名残です。

この浅間神社も、かつては神仏習合であったという事ですね。

有名なところでは厳島神社の大鳥居がこの形ですね。

丁度、鳥居の真上に太陽が来ていて、何気なく撮った写真ですが、凄い写りですね。


鳥居には三国第一山とあります。


ここに説明がありました。

三国第一山というのは、日本、中国、インドの三国で一番高く麗しい山とされたのが富士山だという事が記されています。

この鳥居は富士山の鳥居という事で、六十年で式年(建て替え)が行われるそうです。

歴史としては文明十二年(1480年)に建てられたようです。

日本は戦国の世でした。

そこから60年周期で建て替えられ、現状を維持しているのですね。



大鳥居を潜って右手側に稲荷社があります。

昨今、食糧難が騒がれていますが、五穀豊穣をお願いしました。


向かい側には八幡があります。

八幡は誉田別命、つまり応神天皇が祀られます。

僕が住む春日部の総鎮守も八幡神社なので、うちの神棚にも誉田別命を祀ってあります。


そして正面に髄神門があります。

この髄神門というのも神仏習合の名残だと思います。

元々 髄神門は仏教寺院の山門として使用された門の一種で、神仏習合時代に神社にも取り入れられました。



ところで写真を編集していたら、髄神門の上に鳳凰のような雲がある事に気付きました。

右側の尾も見事です。

歓迎されているのでしょうか。


髄神門を抜けるとすぐ神楽殿があります。



神楽殿に由緒書きが貼られていました。

なんと、日本武尊も祀られていると。。。

なるほど、鳳凰のような形の雲は日本武尊でしたか。

神話では白鳥の姿になったと書かれていますので、そういう事かと。

詳しくは「日本武 白鳥伝説」と検索すると沢山出てきます。

日本武尊を崇拝する身としては何と嬉しい事でしょう。


神楽殿の左手側に手水舎があります。

参拝客が多くて中々無人の時に撮れないもので、写ってしまった方々、申し訳ございません。。


この写真も編集をしていたら大変なものが写りこんでいました。

龍神です。

コントラストなどを調整していると段々と浮かび上がる姿。。。

もろに龍の顔です。

どうして浅間神社に龍神なのでしょう。


少し調べてみて分かりました。

その昔、富士山を信仰の対象とする浅間神社において、「龍神信仰」が取り入れられた事があるようです。

これは、富士山が噴火によって「火」と「水」の両方の力を持つと考えられていたそうで、富士山の噴火を抑える為には火の力を持つ木花咲耶姫と共に、水の力を持つ龍神の力が必要とされました。


その為、特定の浅間神社では、龍神を祀ったり、龍神との結び付きを強調した祭りが行われる事があるようです。

実際、この北口浅間神社でも至る所に龍神があります。

そういう事だったのですね。


変なスピリチュアルを抜きにしても、不思議な事がかなり身近に起こります。


パート2へ続く。