人穴浅間神社 富士講遺跡
道路側にある鳥居です。
晴れていればここから富士山が望めます。
一の鳥居からすぐの所に駐車場と社務所があります。
そしてまたすぐの所に二の鳥居があります。
反対側から見た感じです。
鳥居の奥が駐車場です。
右側に見えるのが社務所になっています。
階段を上がっていくと碑塔群があります。
この碑塔というのは、富士講の人達によって建てられた、先達の供養碑や大願成就や登拝を記念した石碑なんだとか。
その数なんと200基以上。
お墓のような形をしていて、富士講の所在地やシンボルマーク、先達の名前などが刻まれているようです。
主に関東地方の富士講が建てたものらしいので、もしかすると丸岩講の碑塔もあるかも知れません。
こちらが社殿になっています。
昔はこんなに綺麗ではなかったです。
現在の社殿はなんでも、平成13年に建てられたそうです。
という事は、平成13年以前から参拝していなかったという事ですね。
やっぱり、呼ばれてしまうんですよね。
こちらが人穴洞窟です。
昔はこのような柵は無く、普通に入れたと思ったのですが。
まあ、昔といっても30年も前の話ですが。。。
うちは家族で参拝へ行った際には必ず洞窟まで入っていました。
嫁ちゃん曰く、地元では幽霊が出るなど、心霊スポット?的な存在だそうで、地元の人間は人穴なんか行かないよと言っていました。
ただ、小学校の校外学習か何かで洞窟には入った事があるそうです。
やはり心霊スポットなどの事実があると中を荒らされたり、遊び半分で来る馬鹿者がいるのでしょうか。
本当に日本人の質が落ちたものです。
この洞窟内は聖域です。
この洞窟は、溶岩石によって造られていますが、富士山の噴火にて溶岩が流れ出て、その表面が冷やされて固まり、内部の固まらなかった溶岩だけが外に流れ出た事で出来た洞窟(洞穴 どうけつ)だといいます。
説明が書かれた物も設置されていました。
こちらも昔は無かったと思います。
富士講の開祖とされた長谷川角行という人物が、戦国時代終わりから江戸時代の初めに人穴で厳しい修行を積み、悟りを開いた後、106歳の時に人穴にて亡くなったといわれているそうです。
その後に弟子達によって富士山信仰が「富士講」という組織として発展していったとされています。
平安時代には、富士山を御神体として拝むというより、富士山にて実際に厳しい修行を積み、霊力を手に入れようとする修験者がいたそうです。
それから時が経ち、江戸時代に富士講として組織され、登拝によって家族の安全や幸せが約束されるという考えが生まれたようです。
うちの嫁ちゃんは、学校で富士山に手紙を出すというような事をやったそうです。
そういう事を考えても地元の人達にとって「富士山」とは自然に信仰の対象となっているのかと思います。
洞窟の内部はこのようになっています。
中は真っ暗なので、よくライトを持って入ったものです。
しかし父はインターネットも普及していない時代によくこんな場所を調べあげたものだなと思います。
人穴洞窟を遥か上空から見てみると、富士山の方へ向いています。
富士山から流れ出た溶岩が作った洞穴なので、当然ですが。
そこへ修行に入ったのですね。
更に引いていくと、、、、
多少はズレますが、江戸を通って、鹿島や香取の方向へ延びています。
直線上で見れば、東京湾を通って銚子の方へ抜けますね。
ただ、方向がそっち向きだという事です。
日本の始まり地ですからね。
面白いです。
これが自然が造ったものです。
そこで修行を積んだというのは、富士山信仰以外にも何かあったのかも知れませんね。
こういう事を書くと、直線上でもないし全然違うだろと食い付いてくる輩もいますが、そういう人はそういう考えでいいです。
分かってくれなくていいんです。
ちゃんと御朱印も頂いて来ました。
ちゃんとお参り出来て良かったです。
これも父が亡くなる前に見せれたので、良かったと思います。
ではでは。