僕と富士山の不思議なご縁 パート2 | SATANS KITTENS

僕と富士山の不思議なご縁 パート2

富士山との不思議なご縁は更に続きました。

パート1で書いた、妻との縁結びも富士山のご縁でしたが、そもそも生まれた時から縁があったようです。


春日部の総鎮守である春日部八幡神社。

越谷から春日部に引越し、ご挨拶へ行かなければと何度か参拝していますが全然気付かず、つい先日いつものように参拝していた時に気付いてしまいました。


春日部八幡神社は、裏側に浅間さま、つまり木花咲耶姫が祀られています。

これは普通に参拝すると分からない場所かも知れません。

いつもと同じように参拝をしていたところ、、、


二合目やら三合目やらという石碑を見つけました。

なんでいつもは気が付かなかったのか。

○合目というと、さては富士山か?と思い、辺りをキョロキョロと散策していると、


あれ?

やっぱりこれは富士山じゃないか?と。


鳥居にもマークがあります。

山と岩という文字が彫られています。


粕壁丸岩元講社とあります。

調べてみるとら丸岩講というのは江戸時代に盛んになった富士講の組織だといい、岩槻を中心に越谷や春日部など色々なところに広がったそうです。

富士講とは、富士山信仰です。

江戸時代に成立した民衆信仰で、拝みと富士登山を行う講社だといいます。


そしてこの山は富士塚、富士山を模して造営された山の事です。

要は富士山を遥拝出来るという事です。

まさか春日部にも富士山があったなんて。。


ここが登山道入り口です。


階段になっているので、それ程大変ではないです。


しかしこの階段が1段ずつ高くて疲れます。

先の鳥居が頂上です。


山頂です。

奥に石碑があります。

「不弐大神」とあります。

「不弐」というのは「不二」

富士山とはその昔、二つと無い山の意味として「不二山」

と呼ばれていたそうです。

なのでやはりこれは富士山信仰の証です。


石碑の裏にも文字が彫られていますが、少し読みづらいです。


父は元々、春日部にいました。

というのも、ばあちゃんの家が春日部でした。

なので僕の本籍は春日部でした。

それが越谷に引っ越して、また春日部に戻りました。


春日部にも何かしらの縁があると思っていましたが、こうい事だったんですね。

そもそもは富士山にご縁があったようです。

どうしてそうなのかは、これからの人生をかけて解明していこうと思います。

何か使命があるのか、そういう事もありますからね。


これは元旦に春日部から見た富士山です。

その昔は高い建物も無く、普通に見えたのでしょうね。

有難い事です。



ではでは。