東国三社巡り 香取神宮
駐車場から二の鳥居まで商店街を歩きます。
こういう感じ良いですね。
参道商店街というそうです。
いつもの如く案内図を確認しないで参拝したので、全然分からない所に末社があったり、参拝出来ませんでした。
こちらが二の鳥居です。
朱色です。
一の鳥居は参道にありますが、もっとずっと離れたところにあります。
こちらが三の鳥居です。
どの鳥居も凄く大きいです。
鳥居をくぐると目の前に総門です。
由緒書きです。
この香取神宮には経津主神が祀られています。
後程書きますが、この経津主という神様は武甕槌と共に葦原中国平定へ向かったという神様で、この神も凄く興味深い神様です。
総門をくぐるとすぐ楼門があります。
こちらも朱色です。
楼門脇に手水舎があります。
こちらも朱色です。
楼門から真っ直ぐに拝殿があります。
拝殿も立派な造りです。
やはり天皇家ゆかりの神社だという事で、いたる所に菊花紋があります。
本殿をぐるりと一周する事が出来ます。
千木が高くて立派な男千木です。
鰹木は9本なので、男神を祀っているという事です。
こちらは神楽殿です。
ただし、実際には「祈祷殿」と書いてありました。
そもそも神楽といものの由来は「神座」が語源になっているとし、神座は「神の宿るところ」「招魂、鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫が人々の穢れを祓ったり、神懸かりをして人々と交流したりするなど、神人一体の宴の場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされているそうです。
これは、天岩戸隠れの時にアメノウズメが舞ったことが起源とされています。
日本最古のストリップですね。
本殿脇には匝瑳神社がありました。
こちらには磐筒男と磐筒女が祀られています。
磐筒男は古事記では「石筒之男」として登場しますが、磐筒女は登場しません。
神社を色々参拝していると、どうも日本書紀寄りの様に感じます。
古事記を基にした呼び名ではないですね。
この磐筒男という神は、「香取大神の親神」と書いてありますが、香取大神とは経津主なので、どちらも親神は伊邪那岐、伊邪那美になるはずです。
古事記には、「是に伊邪那岐命、御佩しませる十拳劒を抜きて、其の子迦具土神の頸を斬りたまひき。爾に其の御刀の前に著ける血、湯津石村に走り就きて、成れる神の名は、石拆神。次に根拆神。次に石筒之男神。」
つまり、伊邪那岐が迦具土の首をはねた際に剣先から飛び散った血が、神聖な岩の群れに飛び散って神が生まれ、その神の名が石折と根折、そして石筒之男の三神だと書いてあります。
そして次に「次に御刀の本に著ける血も亦、湯津石村に走り就きて、成れる神の名は、甕速日神。次に樋速日神。次に建御雷之男神。亦の名は建布都神。亦の名は豊布都神。」
とあります。
つまり、次は刀の根本の血が神聖な岩石の群れに飛び散って生まれたのが、甕速日、次に樋速日、
次に武御雷之男で、この神のまたの名を、建布都神、またの名を、豊布都。
????????????????????????
出てきました。
「建布都神」
香取神宮の主祭神は「経津主神」
同じ「フツ」です。
この事から、タケミカヅチとフツヌシは同一神だという話もあるのです。
そして、鹿島神宮には建御雷の剣で「韴霊剣 フツノミタマノツルギ」という刀があります。
この剣ですが、古事記によると神武東征の時、後の神武天皇であるイワレビコが苦戦を強いられていたとし
「ここに答へて白さく、『自ら降らずとも、専らその国を平けし横刀あれば、この刀を降すべし』とまをしき。この刀の名は佐士布都神と云ひ、亦の名は甕布都神と云ひ、亦の名は布都御魂と云ふ。この刀は石上神宮に坐す。」
とあります。
この刀が布都御魂(フツノミタマ)なのです。
こうした事から、建御雷の刀を神格化したのが「経津主神」だという考えもあります。
この二神の話は本当に興味深いです。
パート2へ続く