東国三社巡り 鹿島神宮
鹿島神宮に祀られている神様は武甕槌大神です。
武甕槌は天照大神に命じられて国譲りとして出雲を平定した神話で有名な神様です。
出土した骨などを調べても、刀で切られたような傷は一切無く、日本人というのは昔から戦いを避けてきたようで、今もハッキリとは分かっていない様ですが、どういう訳か、国を譲るという事が多々あったようです。
どうやら、勝ち目が無い戦いはしなかったようです。
大鳥居がそびえます。
こちらは二の鳥居ですね。
ちなみに一の鳥居は海の中です。
境内案内図です。
由緒書きもちゃんとあります。
最近は由緒書きがない神社も結構あるのですが、知りたい人にとっては良いですよね。
お年寄りなんかはインターネット使わない人もいますから。
参道を進むと楼門があります。
楼門の左手に手水舎があります。
立派な造りです。
そして楼門を過ぎてすぐに拝殿と本殿があります。
改修中でしたので、足場が組まれていました。
これ、案内図を見てもらえると分かるかと思うのですが、参道が西から東へ向かっているのに対して、本殿が北を向いているのです。
こんな感じに。
それも、参道の真ん中に位置します。
この鹿島神宮について書かれた「当社例伝記」という書物には
《開かずの御殿と曰(い)うは、奉拝殿の傍に御座(ま)す、是則(すなわ)ち正御殿なり。北向に御座す、本朝の神社多しといえども、北方に向いて立ち給う社は稀なり、鬼門降伏、東征静謐の鎮守にや、当社御神殿の霊法かくの如く、社は北に向ける、其の御神躰は正しく東に向い安置奉る、内陣の例法なり》(2)。
とかかれているそうです。
そして
社殿は北向き、神座(御神体)は東向きであり、しかも中央でなく南西の方に、おかれているのである。鹿島神宮の宮司であった東実氏は、この配置、内部構造は、出雲大社の内陣と共通するものだ、と述べる(3)。
という話ですが、内部構造が出雲大社と同じようになっていると。
確か出雲大社は御客座五神が南を向き、主祭神である大国主は西を向いていたはずです。
社殿は北向き、神座は東を向いていると武甕槌と大国主は背中合わせで鎮座しているという事になりますね。
そして諸説ありますが、この出雲大社の社殿の内部構造、実は鹿島神宮と同じように造らせたのだといいます。
背中合わせにて鎮座するという事は、何かから国を守っていると考えてもおかしくはないですね。
神道ってやっぱり面白いですよね。
そして摂社てして高房社に建葉槌が祀られています。
この「建葉槌」という神様は常陸国二之宮である静神社の主祭神として祀られています。
この建葉槌がまた面白くて、葦原中国平定の時に、武甕槌や経津主によって、これに従わなかった甕星香香背男という神を倒すために派遣されたという話があるのです。
この甕星香香背男という神についてはまた別の神社の時に書きますが、香香背男も天津甕星という別名から分かるように、「天津神」なんですよね。
もう何がなんだか面白くて仕方ないです。
何か改めて写真を見たら一筋の光が天から、、、(笑)
そしてここから奥宮へ続く参道になります。
木々が凄かったです。
やはり空気が変わりますね。
鹿園がありました。
鹿は神様の遣いとして大切にされているそうです。
国譲りのときに、鹿の神である天迦久神が天照大神の命を武甕槌神に伝える役割を担っていた事に由来するそうです。
そして鹿島神宮にもさざれ石があります。
さざれ石がどうやって出来るのか、どういう意味があるのかが彫られています。
パート2へ続く