筑波山神社 参拝 パート3(常陸国)
さて、パート3は参拝ブログというよりも、筑波山について書かせてください。
今の茨城県には「常陸国風土記」というものが残されています。
この風土記というのは、その土地の風土や産物、伝説などを記した書物だといいます。
この常陸国風土記に面白い事が書かれているのです。
現代語訳されたものを載せます。
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<神祖尊の伝説>
古老が言うには、昔 神祖尊(ミオヤノミコト)という神がいた(富士・筑波の2神の親神である)
この神が諸神の居処を巡行した際、駿河国の福慈岳(富士山)に到った時に日が暮れたので、福慈神(フジノカミ)に宿を乞うた。
その時、福慈神は「今は新嘗祭のために家内で物忌をしています。今日のところはどうかお帰り下さい」と言って断った。
これを恨んだ神祖尊は泣きながら「お前の親だというのに、どうして宿を貸さないのか。
お前の治める山は生きている限り、冬も夏も 雪が降り 霜が降りるほど 重ねて寒さが襲い、人が登らなくなって飲食物を供えなくなるだろう」と罵った。
それから神祖尊が筑波岳(つくばのやま)に登った時に また宿を乞うた。
その時、筑波神は「今夜は新嘗祭ではありますが、敢えて尊を断ることもないでしょう」と言い、敬い拝み謹んで饗した。
これに神祖尊は歓んで「愛しき我が胤(子孫)よ、高い神宮は天地に並び日月共々に人々が集い、飲食物も豊かで代々絶えること無く、日に日に栄えて 千秋万歳(永遠)に遊楽が尽きないだろう」と言った。
これによって、福慈岳(富士山)には常に雪が積もって登ることができないが、筑波岳(筑波山)には人々が集って歌舞・飲食などが行われることは、今に至るまで絶えたことはない。
そもそも筑波岳は高くて雲を突き抜けている。
西の峰の山頂は険しく、雄神(ヲノカミ)と呼ばれて人を登らせようとしない。
ただし、東の峰は四方に磐石(いわほ)はあるが、登る人はたくさんいる。
その側を流れる泉は冬も夏も絶えることはない。
この山の東の諸国の男女は、春の開花の時や 秋の紅葉の季節などに、一緒に飲食物を持って馬や徒歩で登り、この山で遊楽して憩う。
その時に歌われた歌には このようなものがある。
「筑波嶺に 逢はむと 言ひし子は 誰が言聞けばか 嶺逢はずけむ」
「筑波嶺に 廬りて 妻無しに 我が寢む夜ろは 早や明けぬ哉」
このように詠まれた歌はとても多く、すべて載せることはできない。
土地の諺に「筑波嶺の集ひに 妻問のたからを得ざれば 娘とせず」というものがある。
郡から西に10里のところに騰波江(とばのあふみ)がある(長さは2900歩、幅は1500歩である)。
東は筑波郡、南は毛野河、西・北には新治郡、東北には白壁郡がある。
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とあります。
面白いですよね。
富士山には雪が積もるのに、筑波山は、、、、、、、、
積もります(笑)
普通に積もります。
まあ、雪山!という感じではないですけどね。
それぞれの山を調べてみました。
まず筑波山なのですが、凡そ8,000万年前から6,000万年前にマグマが地下深部でゆっくり冷え固まって出来た岩石が、長い年月をかけて地殻変動によって隆起して出来た山だという事で、富士山のように噴火で出来た山ではないそうです。
一方富士山は、凡そ10万年前に誕生した比較的新しい山です。
富士山は噴火によって作られた山で、溶岩や火山灰が幾重にも積み重なって出来ました。
何度も何度も噴火を繰り返して今のような大きくそびえ立つ山になりました。
筑波山が8,000万年前なので、こちらは白亜紀に出来た山という事になります。
富士山の方は、10万年前なので旧石器時代中期です。
どちらも縄文時代以前に出来た山ですが、富士山は今よりも低い山だったのかなと思います。
ホモサピエンスとか、そういう時代ですよね。
そう考えると凄いですよね。
私たち今の人類よりも遥かに昔から存在するのです。
それはそれはどちらも凄いパワーを秘めているハズですね。
神道というのは縄文時代からの話ですから、このように歴史なんかを調べてみるのも面白いです。
神道=スピリチュアル云々より、日ユ同祖論のように、事実に基いた事を調べてみるのもいいですよ。